下記画像をクリックすると詳細ページへ飛びます
今は準備中のページばかりですが、順次内容を充実させていきます。
アップ済のページは地図のマーカーを★印にしています。
関西が多いですが日本全国の源平、主に1100年代の出来事や人物に関連する史蹟が対象です。
同じ事柄でも複数の説が存在するものもあれば、史実から考えると疑問が残る場合もあるかもしれませんが、その土地に今も語り継がれる伝承や今も大切にされていることを知って頂くきっかけになれば幸いです。
西方寺 JR「仙台」駅からバスで約1時間半。
平貞能の墓の上に建てられた六角堂や安徳天皇の遺品を埋めたとされる天皇塚など。
義経石、弁慶石 JR「岩切」駅から徒歩15分で義経石、更に西へ徒歩5分で弁慶石。
義経と弁慶が力比べをした石。
畠山重忠公 史跡公園 秩父鉄道「永田」駅から徒歩20分
愛馬・三日月を背負う畠山重忠像や産湯ノ井戸、墓など。
井椋神社 秩父鉄道「永田」駅から徒歩25分
畠山重綱が秩父吉田郷の井椋五所宮を勧請。
鶯の瀬 秩父鉄道「永田」駅から南へ徒歩25分
畠山重忠公が豪雨で川を渡れないでいると鶯が浅瀬を教えてくれた
満福寺 秩父鉄道「永田」駅から徒歩25分
畠山重忠が再興。重忠廟の碑がある。
◆催事◆
レポート→『重忠公ゆかりの地大集合!』 2022年12月3日開催された。
熊谷次郎直実 像 JR熊谷駅北口すぐ
扇を持つ熊谷直実像。夜はライトアップされている。
福源山 長昌寺 道の駅めぬまバス停から徒歩40分
斎藤実盛が三本植えた椎の木の一本を見ることができる
代々木八幡宮 「代々木八幡駅」より徒歩5分
源頼家の側近に仕えた荒井外記 智明が鎌倉の八幡宮を勧請、創建
川本喜八郎人形ギャラリー 各線「渋谷駅」直結(渋谷ヒカリエ8階)
人形歴史スペクタクル平家物語の人形たちが展示されている
駒繫神社 東急電鉄「祐天寺」駅から徒歩20分
源義家が天喜4年に、源頼朝が文治5年に戦勝祈願
葦毛塚 東急「祐天寺」駅から徒歩約10分
源頼朝の乗っていた葦毛の馬がここで沢に落ち力尽きた
多摩川浅間神社 東急「多摩川」駅から徒歩5分
北条政子が源頼朝を追ってきた際に治療のため留まった
池月の銅像と千束八幡神社(洗足池公園) 東急電鉄「洗足池」駅徒歩10分
源頼朝が名馬・池月と出会った場所
長福寺 JR「大原」駅から徒歩約1時間
源頼朝が筆を掛けたことに由来する「筆掛の槇」がある
上総広常供養塔(布施塚の石塔) JR大原駅前のいすみ市観光センターのレンタサイクルが便利
上総広常または平景清の供養塔と伝わる
名熊の二本杉 JR大原駅前のいすみ市観光センターのレンタサイクルが便利
源頼朝が箸に使った杉が成長した
上総国一之宮 玉前神社 JR「上総一ノ宮」駅から西へ8分
上総広常が崇敬し総廣常の顕彰碑があり、毎年春分の日に上総広常の慰霊祭が行われている
◆行事◆
レポート→上総権介朝臣 広常公 慰霊祭
君待橋 JR本千葉駅から徒歩5分
千葉胤頼がこの橋のたもとで源頼朝を出迎え、橋の名を問われて詠んだ和歌の碑がある
千葉常胤像(亥鼻公園) JR「本千葉」駅から徒歩10分前後
千葉市立郷土博物館前に千葉常胤の像がある
お茶の水 JR「本千葉」駅から徒歩10分
石橋山合戦から逃亡してきた源頼朝に千葉常胤がここの水でお茶を点てた
勇後の松跡地 車がお勧め
源頼朝が馬をつないだ松の碑
景清の井戸 JR「上総清川」駅から徒歩35分
藤原(平)景清が好んだ水
景清陣屋跡 JR「上総清川」駅から徒歩15分
藤原(平)景清の陣屋跡とされる
頼朝桜まつり(2020年) JR保田駅から鋸南町営循環バスが便利
河津桜で毎年2月中旬から3月上旬ころに行われている
源頼朝上陸地と神明神社 JR「安房勝山」駅から徒歩15分
石橋山合戦に敗北し真鶴から船できた上陸した説の一つ。頼朝が滞在したのが神明神社
矢尻の井戸と源頼朝公上陸地 JR館山駅からJRバス「矢尻の井戸前」バス停すぐ
源頼朝が石橋山合戦から船で逃れてきた上陸地の説の一つ。井戸は頼朝が矢で突き水が湧いた
鶴谷八幡宮 JR「館山」駅から徒歩20分
源頼朝が武運長久を願い、後に実朝が社殿を造営奉納
洲崎神社と養老寺 JR館山駅からJRバス「洲の崎神社前」バス停すぐ
洲崎神社に源頼朝が源氏再興を祈念、養老寺には頼朝が箸に使用したススキが根付いた
土肥實平公 並 夫人像、土肥氏館趾 JR「湯河原」駅前
土肥實平(実平)夫婦の像が建つ
城願寺 JR「湯河原」駅から徒歩10分
土肥実平腰掛石や土肥一族の墓所がある
五所神社 JR「湯河原」駅から徒歩15分
源頼朝が石橋山合戦前に戦勝祈願
小道地蔵堂 JR「真鶴」駅から徒歩20分
石橋山合戦から逃れてきた源頼朝一行を匿った純海和尚の話が伝わる
しとどの窟 車がお勧め
石橋山合戦に敗れた源頼朝一行が潜んでいたとされる場所
※真鶴町にも同じ謂れの鵐の窟があります
◆催事◆
幕山公園 梅の宴&草萌隊 JR「湯河原」駅からバスに約20分乗車と徒歩
『土肥祭』のPR活動など
鵐の窟 JR「真鶴」駅から徒歩30分
石橋山合戦に敗れた源頼朝一行が潜んでいたとされる場所
※湯河原町の山中にも同じ謂れの鵐の窟があります
頼朝の腰掛石(貴船神社内) JR「真鶴」駅から徒歩30分
移築された頼朝の腰掛石がある
源頼朝船出の浜・源頼朝開帆處 JR「真鶴」駅から徒歩25分
石橋山合戦に敗れた後、源頼朝が安房を目指して出航した付近
勝長寿院跡 鎌倉駅から徒歩25分
源頼朝が平増盛(平知盛の息子)を住まわせた
教恩寺 JR鎌倉駅から徒歩10分
一ノ谷合戦で生け捕りにされた平重衡が鎌倉で酒宴でもてなされた場所
満福寺 江ノ島電「腰越」駅から徒歩5分
源義経の腰越状で有名な寺
※他準備中
源頼朝公 落馬地 JR「辻堂」駅から徒歩5分
頼朝が落馬し、昏睡状態になった。
【レポート】白旗神社・源義経833年鎮霊祭 小田急電鉄「藤沢本町」駅から徒歩8分
首実検後の義経と弁慶の首が飛んできた神社で、鎮霊祭が行われている
◆行事◆
毎年6月13日に源義経鎮霊祭が行われている(レポートは上記ページ内)
伝 義経首洗井戸、弁慶塚 小田急「藤沢本町」駅から徒歩10分
源義経の首を洗った井戸と弁慶の霊を祀る弁慶塚
畠山重忠公首塚、首洗い井戸・鎧の渡し 相鉄「鶴ケ峰」駅から徒歩10分
二俣川の戦いで散った畠山重忠の首塚。井戸は碑のみ
畠山重忠公碑(畠山重忠終焉の地) 相鉄「鶴ケ峰」駅から徒歩8分
二俣川の戦いで畠山重忠の終焉の地となった
矢畑・越し巻き 相鉄「鶴ケ峰」駅から徒歩15分
畠山重忠が北条氏から攻められ矢が無数に落ちたとされる場所
六ッ塚(薬王寺) 相鉄「鶴ケ峰」駅から徒歩20分
二俣川の戦いで愛甲季隆の矢に討たれた畠山重忠と一族を祀る。
毎年6月22日は慰霊法要が行われている
◆薬王寺行事◆
レポート→畠山重忠公慰霊祭(2024年)
平家越 岳南電車「本吉原」駅他から徒歩10分
平維盛率いる平家軍と源頼朝率いる源氏軍とが対峙
鎧ヶ淵 岳南電車「岳南原田」駅から徒歩15分
源頼朝が鎧を脱いで身体を洗った
飯森浅間神社 岳南電車「岳南原田」駅から徒歩12分
富士川合戦時に、源氏軍が食糧を置いた
和田神社 岳南電車「吉原本町」駅から徒歩12分
富士山合戦の時に和田義盛が陣を置いたのがこの付近
御崎神社と御崎坂 岳南電車「比奈」駅から徒歩10分
富士川合戦の時、源氏軍の陣を置き境内に二代目の「源軍物見ノ松」がある
源太坂 岳南鉄道「本吉原」駅から徒歩20分
生食と磨墨のことで源太景季が佐々木四郎高綱を刺し違えようとした
【レポート】菖蒲御前供養祭2024年 伊豆長岡駅から徒歩20分(もみじ公園内)
源頼政の妻・菖蒲御前の供養塔、付近に宅跡や美女桜などがある
◆行事◆
毎年7月第一土日に「源氏あやめ祭」が行われている(レポートは上記ページ内)
願成就院 伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩20分
源頼朝の奥州藤原氏征討戦勝祈願のために北条時政が建立、時政の墓もある
北条政子 産湯の井戸 伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩15分
政子の産湯に使われた水
眞珠院 伊豆箱根鉄道「伊豆長岡」駅から徒歩15分
八重姫と頼朝は恋仲になり、引き裂かれ入水した八重を祀る
蛭ヶ小島 伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩10分
源頼朝配流の地、頼朝と政子の像が建つ
【レポート】第一回公暁祭(大泉寺) JR原駅から徒歩30分
阿野全成とその息子・時元の墓があり、公暁の供養塔建立が計画されている
六代松の碑と金剛寺 JR沼津駅から徒歩30分
六代が斬られそうになったが救われ、数年後誅せられた後にこの付近に葬られた
秋戸郷跡 JR「熱海」駅から徒歩18分
石橋山合戦で敗北した源頼朝は安房へ逃亡、北条政子がこの付近に隠れていた
走り湯 JR「熱海」駅からバス、逢初橋バス停徒歩7分
源実朝がニ所詣で時に読んだ三首の歌が紹介されている
逢初地蔵尊 JR「熱海」駅からバス、逢初橋バス停すぐ
大姫の延命にために建立された
逢初橋 JR「熱海」駅からバス「般若院前」バス停下車
北条政子は山木判官兼隆との婚礼の夜抜け出し頼朝と政子が劇的な対面をした
伊豆山神社 JR「熱海」駅からバス「伊豆山神社前」バス停すぐ
頼朝と政子が語り合った「腰掛け石」など
斉藤別当実盛の墓 JR熱海駅からバス「般若院前」バス停から徒歩10分
斉藤実盛の墓と多数の五輪塔も
※準備中※善光寺
移田八幡宮と庄川 JR「戸出」駅から徒歩50分
倶利伽羅峠合戦時に今井兼平が戦勝祈願
弓の清水・般若野古戦場 車がお勧め
平盛俊が今井兼平が戦った般若野古戦場と木曽義仲の弓で突いて水を湧かせた弓の清水
松原清松堂 車がお勧め
木曽義仲が弓で突き湧き出た「弓の清水」の水を使用したお菓子の販売
常国大悲寺 観音堂 JR「戸出」駅から東へ徒歩60分
木曽義仲公の守護佛で33年毎に開扉法要があると書かれている
木曽義仲像(中田中央公園内) JR戸出駅から西へ徒歩約1時間
ショッピングセンターの開店祝いに造られた
如意の渡 義経・弁慶像 JR「伏木」駅すぐ
源頼朝から逃げて奥州へ向かう義経一行が疑われ、弁慶が義経を扇でうちのめした
【レポート】倶利伽羅源平供養塔追悼法要2024年 IRいしかわ駅「倶利伽羅駅」から徒歩60分
平維盛軍と木曽義仲軍が戦った倶利伽羅峠合戦で討たれた人々の供養塔
◆行事◆
毎年5月12日に倶利伽羅峠合戦の追悼法要がおこなわれている(レポートは上記ページ内)
巴塚・葵塚 石動駅から徒歩約60分
木曽義仲の愛妾・巴と倶利伽羅峠合戦で討たれた葵の塚。
聲乃口~小耳入(7か所) 「石動」駅観光案内所のレンタサイクルが便利
倶利伽羅峠合戦への進軍路などの碑がある
埴生護国八幡宮 あいの風とやま鉄道「石動」駅から徒歩25分
木曽義仲が戦勝を祈願して願文を奉納、像が建つ
倶利伽羅源平の郷 埴生口 あいの風とやま鉄道「石動」駅から徒歩25分
埴生護国八幡宮に近く、木曽義仲軍の進軍経路付近で資料も展示されている
石動駅前の木曽義仲像 あいの風とやま鉄道「石動」駅南側すぐ
倶利伽羅峠合戦で勝利した木曽義仲の像が建つ
俊寛塚~出合橋~俊寛杉ほか 車でないと難しい
平家打倒と企てた俊寛たちが流刑地伝説の一箇所
巴塚と巴忌2022年レポート JR駅「福光駅」から徒歩20分
巴御前の終焉の地伝説の一箇所
◆行事◆
10月第三土曜日に巴の法要が行われている
レポート(2023年)→https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/tomoeki2023/
畠山重忠の墓、重忠まつり2019レポート JR「楡原」駅から徒歩25分
源頼朝のために生きたさいの角を取ってきたがケチをつけられ逆臣となった
◆行事◆
毎年7月22日に近い日曜日に重忠まつりが行われている
他準備中
王城(説明板) JR及びIRいしかわ鉄道「津幡」駅から徒歩15分
木曽義仲軍が合戦後に休息をとった場所の近く
兼平の湯(説明板) IRいしかわ鉄道「倶利伽羅」駅から徒歩45分
今井兼平が矢傷を癒した湯は現在は埋没し説明のみが残る
道の駅 倶利伽羅 源平の郷 IRいしかわ鉄道「倶利伽羅」駅から徒歩30分
倶利伽羅峠合戦についての展示や火牛の計」を模した牛の像がある
平知度の首塚 JR「中津幡」駅から北へ徒歩35分
志雄合戦で討たれた平知度の首塚。近くには平清盛松も植えられている
津端城址 JR津幡駅徒歩約30分
平維盛軍が陣を敷いた
倶利伽羅駅の階段アート IRいしかわ鉄道 倶利伽羅駅
階段に家紋の蝶紋と笹竜胆紋が描かれている
実盛塚 JR「加賀温泉」駅からバス「中谷宇吉郎雪の科学館」バス停から徒歩30分
篠原合戦で討たれた平家方の斉藤実盛の首塚
正覚寺 JR「大聖寺」駅から北西へ徒歩10分
仏御前が平清盛から与えられた靴を履いた阿弥陀如来像が祀られている
他準備中
興禅寺 名鉄「羽黒」駅から徒歩10分
梶原一族の五輪塔や景時夫婦供養塔
磨墨塚史跡公園 名鉄「羽黒」駅から徒歩10分
名馬・磨墨と景時の孫・景親を守った乳母・隅の方も
瀧山寺 名鉄「東岡崎」駅からバス「滝山寺下」バス停すぐ
源頼朝の顎髭と歯を胎内に納めた聖観音菩薩立像が祀られている
◆行事◆
レポート→源義経と恋仲になった浄瑠璃姫伝説をめぐる姫さんぽのガイドツアー参加レポート
龍照院、冨吉建速神社、八剱社 JR「蟹江」駅より徒歩15分
木曽義仲が再興した冨吉建速神社・八劔社と巴御前が木造大日如来坐像を安置
源氏塚公園 近鉄「蟹江」駅から徒歩15分
平治の乱で敗れた源義朝が逃亡中に立ち寄った
源義朝 公 内海上陸の地 名鉄「内海」駅から徒歩約30分
平治の乱に敗れた源義朝一行が上陸した付近
密蔵院と磔の松 名鉄「野間」駅から徒歩15分
源頼朝が父・義朝の菩提のために創建
野間大坊 名鉄「野間」駅から徒歩15分
源義朝やその郎等の鎌田政家夫婦の墓の他、見どころ多数
他準備中
※※関西~中国地方は随時追加予定※※