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義円公園と義円の墓<岐阜県大垣市>

義円を祀る

源義経のすぐ上の兄・義円(ぎえん)は墨俣川合戦で討ち取られ、供養のために長良川のすぐ傍に義円公園が整備されています。
義円公園入口
ぎえんの名が

義円の母は常盤御前。源義経と同母兄弟で幼名は乙若。
平治の乱で父・義朝が討ち取られた時、乙若は5〜6歳。母と離れ、仏門に入ることを条件に助命され園城寺に入り、27歳で墨俣川合戦の時に駆けつけたと云われています。

住所
岐阜県大垣市墨俣町下宿
交通
JR大垣駅からバス約25分乗車、墨俣バス停下車、徒歩20分

探訪について
自由
探訪目安時間
30分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2016/01/09
備考
解説板より
養和元年3月10日(1181年)長良川をはさんで源平の大激戦が展開された。世にいう源平墨俣川の合戦である。
同年2月4日平清盛病死す。東国源氏は勢を得て、京へ攻め上る。これを迎え討つため、平重衡を総大将として維盛・通盛・忠度・知度・盛綱・盛久等の武将七千騎杭瀬川を渡り、右岸の墨俣側(上下宿)に陣す。

一方源氏の将・行家(新宮十郎藏人)は千余騎を率いて左岸の羽島側(小熊)に着陣す。
源頼朝は応援のため弟の源義円をつけ、西上させたが合流せず、二町隔てて軍を整えた。
義円は行家に先陣されては兄・頼朝に合わす顔がないと考え、唯一人馬に乗り、敵陣側の西岸にひそみ、夜明けとともに「義円は今日の大将軍なり」と名乗って先陣のさきがけをしようと、白む夜明けを待っていたところ、見廻り夜警兵に見とがめられ「兵衛佐頼朝の弟で卿の公義円という者だ。というが早いか勇敢に戦い、武運つたなく、力つき、平盛綱に討たれた。
源氏は戦利あらず、尾張源氏の泉太郎重光兄弟討死し、行家の子太郎光家兄弟は平忠度に捕らえられた。討死・溺死する者690余人に及ぶ。

敗れた源氏は退き、矢矧川の東岸まで退き東国源氏の大兵来たると宣伝し勢を盛りかえして遂に平家を亡すことになる。
源義円は頼朝の異腹の弟で義朝の妾・常盤御前の子の義経と同腹の兄にあたる。幼名を乙若といい、天王寺に預けられていた。兄の挙兵を聞き、比叡山の僧兵のごとく坊主頭を頭巾に包み、墨染の衣を来て鎌倉へ駈け付けたと思われる。
墨俣川合戦で悲運の生涯を閉じた。25才である。里人義円地蔵を刻み、堂を建て、毎年3月10日に供養を続けている。

これより150米西に義円の墓がある。
昭和56年3月10日800年祭が行われた。
(源平盛衰記・平家物語・吾妻鏡)

平家物語と違いここに知盛の名は記されていない

義円公園

公園内には義円地蔵、供養塔、源平墨俣川合戦場碑が建てられ、供養塔には花が手向けられ地元の方により大切にされている様子がうかがえます。

お地蔵様は現地で見てくださいね

十三重塔

供養塔に刻まれた文字

綺麗な花が飾られいて、義円が大事にされていることにちょっと嫉妬してしまいました(^^;
供花

義円公園の碑

800年を経て建てられたことがわかる碑。
昭和56年の800年祭のときに

150米西にある義円の墓

解説に書いてある義円の墓へも足を延ばしました。

義円公園の近くの道路上の案内。
これは2016年1月にはありませんでしたが、2019年11月に訪れた時に発見しました。
地元ガイドの方に聞いたところ、最近できたものだそうです。
源平の合戦

正面に花が飾られた五輪塔。そして左手前にも五輪塔が。これも誰かの墓なんでしょうか??
質問できる方がいらっしゃらないので謎のまま帰宅しました(^^;
義円の墓

義円の墓は大垣市の指定文化財になっています。
指定文化財

田畑が広がる中に静かに眠っているんですね。
標識の先に

義経や頼朝に比べて義円はそれほど名が知られていないような気がしますが、大垣市の指定文化財になったりこの地では大切に扱われていることが現地を訪れてよくわかりました。
3月10日に行われているという供養に一度参加してみたいです。
源義朝の八男・義円(ぎえん)

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