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小玉姫の小祠(小玉姫奥都城)<愛知県東海市>

ひっそり

源義朝の後を追ってきた側室・小玉姫:こたまひめ:の終焉の地です。(追ってくるということは京のあたりから??)

京で起きた平治の乱に敗北した源義朝は息子の頼朝の他、鎌田政清などの郎等たち数人と東国を目指し落ち延びて行きました。

頼朝は雪の中はぐれてしまい、知多半島にいる鎌田政清の舅・長田忠致:おさだただむね:を頼って宿を借りましたが、長田忠致親子が恩賞目当てに義朝たちを裏切り討ち取ってしまいました。
それを知った小玉姫は……
ほこら

解説板より
平治2年(1160年)正月3日、平家の軍に追われた源義朝は野間村の長田の手により無念の最後を遂げた。

義朝を慕ってこの地に来た愛妾の小玉姫は、義朝の悲運を耳にし悲嘆やるかたなく義朝との間に生れた子二児を残して自刃した。

村人はこれを思い小祠を建立し、以来春風秋雨小玉さんと呼んで供養を続けて来た。

現在の建物は、皆様の浄財により昭和35年3月再建されたもの。

順知

由来

残された子供2人はその後どうなったのか疑問で検索してみると、妙乗院のブログに家系は続いていると書かれています↓
https://ameblo.jp/myojyoin/entry-10730799263.html

小玉姫の小祠は妙乗院(https://www.myojyoin.jp/0101info/)の飛び地境内だそうです。
離れている

毎年4月25日の行われているという法要。
命日

その様子は知多半島の情報サイト「ちたまるナビ」に動画で掲載されています↓
https://www.chitamaru.jp/movie/110040/

小祠の右側に通路があり、奥へ進めます。
住宅の間

「小玉姫奥都城」の碑。再建の年月が刻まれています。
昭和に建てられた

小玉姫については仔細不明、歴史ではほとんど知られていないであろう、義朝の側室も大切にしている地域性が素敵だと思いました。
いつか法要に参列できればと思います。

住所
愛知県東海市養父町南堀畑
交通
名鉄「尾張横須賀」駅から南西へ徒歩12分

参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2016/02/21
備考
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