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伊豆山神社<静岡県熱海市>

語らう

14歳で伊豆に流罪となった源頼朝が信仰し、境内には頼朝と政子が語り合った「腰掛け石」があります。

伊豆山神社へ

熱海駅からバスに約10分乗車で神社前に到着。
東海バス

バス停の向かいの公民館の横の道に伊豆山神社の説明があります。

解説板より

むかしの

いよいよお参りです。
階段数が…公式ホームページによると約170段だそうです。
上る

107段らしい

案内図にも長い階段が描かれています。
見取り図

手水社の「赤白二龍:せきびゃくにりゅう:の由来」
二龍は温泉の守護神なんですね。
紅白

「光り石」
座ってもいいそうです♪
楽しくお参り

光り石の後ろに見えるのが「雷電社」で源実朝(頼朝の子)が再興とあります。
新しい

源氏に関わる

そしてお目当てだった
頼朝・政子腰掛け石
石

長時間座るのは厳しいかも(^^;頼朝、政子は尻が痛くならないように敷物でも持参していたんでしょうか??
結構大きい

解説板より
■頼朝と政子の伊豆山参詣

霊湯「走り湯」を掌り、開運擁護の霊神として名高い伊豆山権現は、走湯大権現:そうとうだいごんげん:とも称する男体神と女体神の夫婦神である。
その神前に夫婦で参詣し、莫大な利生を戴いた代表的人物に、鎌倉将軍 源頼朝と北条政子がいる。

とりわけ政子にとり、伊豆山は頼朝への誠の愛を貫き夫のために祈り続けた聖なる地であった。
『吾妻鏡』には、それを政子自身が頼朝に向かって語る場面がある。それは、囚われの身となった静御前が、鶴岡八幡宮の神前で「しづやしづ…」と義経を慕う歌を詠じ舞を舞ったときのこと。

静御前の行為に激怒した頼朝を、政子はその場で次のように語って諫めた。
「あなたがまだ流人として伊豆の国にいらっしゃったころ、あなたとの契りを知った父(北条時政)は、平家を怖れ、わたくしを閉じ込めてしまいました。

でも、わたくしは闇夜を抜け出して、雨風を凌ぎつつあなたの元へ参りました。石橋山の合戦の時には、伊豆山でひとりあなたを思い、生きた心地がしませんでした。あのころの私の愁いと、いまの静御前の心は同じです!」

政子の語る「愛の逃避行」は、真名本『蘇我物語』に詳しい。
それによると、闇夜をさまよい伊豆山に逃れた政子は、頼朝に文を使わして喜びの再会を果たした。二人はそろって精進潔斎し、伊豆山権現に詣で祈願を立てる。

政子は頼朝にも増して熱心に、夫の宿願が叶うよう祈りを捧げた。
その甲斐あって、やがて権現から、未来において頼朝は日本国の大将軍となり、政子も頼朝の後を継ぎ後家として日本国を知行するという夢告を授かる。

この頼朝と政子の「逃避行」は、実は伊豆山権現への参詣と深く結びついた出来事であった。

頼朝を慕う政子の心が、伊豆山参詣という縁:えにし:をつくり出し、二人で心をこめた祈願を立てたからこそ、ともに大いなる功徳を得ることができたのである。

鎌倉時代に伊豆山権現の由緒を著した『走湯山縁起:そうとうさんえんぎ:』には、伊豆山に参詣するものはだれでも、一切の災いからまぬがれ、福徳を得て極楽往生が叶うと約束されている。

頼朝と政子は伊豆山権現を介して、箱根権現や三島大明神、さらには冨士の神々の加護を得て、夫婦二人三脚で東国の地からあらたな歴史を切り開いた。

二人にとって伊豆山は、まさしく新たな時代への「出発の地」であった。
そして頼朝の亡きあとには、政子は落髪して出家し、夢告の通り「尼将軍」ととなって、頼朝が築いた幕府の礎を支え続けた。

伊豆山神社には、政子が頼朝の一周忌の供養のため、自らの髪を編み込んだ法華曼荼羅が、いまも残されている。

平安時代も多数お参り

上記の法華曼荼羅は公開されているのか不明…次回参詣のときにどなたかに確認できればいいのですが。

途中色々見て回ってようやく本殿に到着。
頼朝もきっと参詣

本殿前のご由緒。全文はぜひ現地でご確認ください。

解説板より一部抜粋
(前略)
平安時代後期、この伊豆山に修行して富士登拝を重ね、富士上人と呼ばれた末代上人:まつだいしょうにん:は鳥羽上皇をはじめ貴族と民衆に勧進し、富士山に一切経を奉納する偉業を達成しました。

伊豆山から富士につながる修行の道は、そののち平治の乱によって伊豆国に配流された源頼朝が、北条政子とともに当社に深い信仰を寄せ、当社の加護のもとで平家を打倒し、鎌倉幕府を樹立して征夷大将軍となるに至る、いわば東国王権神話とも呼ぶべき歴史の舞台になります。

鎌倉将軍の参詣する二所詣の聖地となった当社は威光を輝かし、格別の尊崇を集め、戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍も崇敬して興隆がはかられました。

武家が誓いを立てる時の起請文:きしょうもん:には誓詞証明の社として、当社の名が必ず連ねらています。

そうした神徳を讃え、鎌倉三代将軍 源実朝が参詣の途に詠じた和歌は『金槐和歌集』に収められています。

平安時代の女流歌人として名高い相模や鎌倉時代の阿仏尼も、参詣して百首和歌を奉納しました。
その伝統は、仲秋の名月に熱海市が主催する伊豆山歌会に受け継がれています。
(後略)

詳しい

富士登拝を重ねた末代上人については境内にかなり詳しい解説板が設置されています。

かなり簡単にまとめると…
長承元年(1132)閏4月19日に初登頂、富士修験の開祖となりました。
久安5年(1149)に鳥羽法皇に招かれ上洛し、貴賤上下の人々が書写した『如法大般若経』を賜り、富士山頂に納めました。
富士上人のこと

そして本殿よりさらに上に本宮があります。
運動靴がオススメです。
案内図

ここから

靴について

雨の日や雨上がりも滑りやすいそうです。
季節によっては蜂など危険な生物もいるかもしれません。登られる方は登山の気持ちで参詣されるのがいいかと思います。
山道の怪我は自己責任

住所
静岡県熱海市伊豆山708-1
交通
JR「熱海」駅から東海バス約10分乗車、「伊豆山神社前」バス停下車すぐ。

参拝について
境内自由
参拝目安時間
1時間~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2017/08/26
公式ホームページ

本殿付近から海がみえました!
熱海の海

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