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【レポート】第一回公暁祭(大泉寺)<静岡県沼津市>

まつり
※このページの写真は2024年2月24日月撮影

阿野全成とその息子・時元の墓がある「大泉寺」
阿野

ここに公暁の墓を建てる計画が進んでいて、第一回となる『公暁祭』が2024年2月24日に開催されました。
まつり

【公暁】
源頼朝と北条政子の孫にあたり、鎌倉の鶴岡八幡宮の銀杏に隠れて叔父・源実朝を討ちとりましたがまもなく公暁も討たれました。
読み方はこれまでは「くぎょう」とされてきましたが、最近では「こうぎょう/こうきょう」説が唱えられています。

【ものすごく簡単な系図】
全成たち

祭りは10時半からでしたが到着したのが11時40分頃なので午後からの内容のレポートです。
幟

法要は13時から。
この日は公暁と時元の法要だそうです。
お墓の前かと思いきや、本堂内でした。
ここ

初めて訪れたので、どこが本堂かも分からずでしたが下記写真左側の建物でした。
本堂

参拝者は50人以上でしょうか。左右に座るのですが、右側には法要の後に奉納演劇をされる方々がその衣装を着て座っているので装束や鎧、烏帽子などなかなかすごい光景でした。本堂に入る前に武士たちは刀が邪魔にならないように預けながら「刀狩りみたい」という声が聞こえて面白かったです。

公暁が好きな高野山で修行されている方も今日のために駆けつけ、一緒にお経を読まれていました。
参列者皆でお焼香。

位牌は普段は拝めないそうですが、下記の大泉寺住職さんのYouTube「ケンプチャンネル Kempu-Channel」の下記の動画1分58秒くらいのところに映っています。
https://youtu.be/c9n22Gc7rUg?si=z7x3rE4kBbloCxUh

法要は本堂内のため写真はありませんので、代わりに境内のお墓の写真を載せます。
阿野全成と息子の時元

墓

板塔婆

解説板より
沼津市指定史跡
伝 阿野全成・時元 墓
指定 昭和58年6月15日

阿野全成は、幼名を今若丸といい清和源氏の嫡流源義朝の7男です。
鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄にあたり母は有名な常盤御前です。

平治の乱で義朝は敗死し、今若、乙若、牛若の三児を連れて逃れ、後に助命されました。

今若は山城国の醍醐寺に預けられ出家して全成と改名しましたがその荒法師ぶりから醍醐の悪禅師とも呼ばれました。

治承4年(1180年)源頼朝が挙兵するや、全成はひそかに寺を抜け出し、修行をよそおいながら頼朝のもとに参じました。
頼朝はその志に涙して感動したといわれます。

後に駿河国阿野庄(現在の沼津市東原・今沢から植田・富士市境付近まで)を与えられて井出に居館を構えたとされ、大泉寺がその館跡であるといわれています。

頼朝の死後、建仁3年(1203年)5月に阿野庄においての兵を挙げましたが、幕府軍に捕えられ、常陸国へ配流となり、同年6月23日下野国で処刑されました。
その首は阿野庄全成の館へ届けられたと伝えられています。

その後、全成の遺児・時元も承久元年(1219年)2月11日、反北条の兵を挙げましたが執権北条義時はただちに兵をさしむけ、交戦10日の後、阿野一族は敗北し、時元も自刃しました。

墓は、左が阿野全成、右が時元と伝えられています。

令和元年9月30日
沼津市教育委員会

説明

法要前に阿野全成を研究して30年の方がガイドしてくださいました。
研究成果は冊子にまとめ、無料でいただけましたがホームページでも公開されています。
https://stshi3ed-akuzenji-study.com/

面白かったのが阿野全成と弟の源義経、どちらがイケメンだったかという質問。
阿野全成(今若丸)が預けられた京の醍醐寺は見目麗しい人限定だったそうなので答えは阿野全成だそうです 笑
醍醐寺ってそうだったんですね。

ファンタジーの世界になってしまいますがと前置きして、下野(現・栃木県)で討たれた全成の首がここまで飛んできて松に掛かった伝説のこと、それは従者が運んだのではないかなど説明してくださいました。

それを聞いて、腰越で首実検が終わった後の義経と弁慶の首は白旗神社(神奈川県藤沢市)まで飛んできた伝承があるのを思い出して、首だけになっても飛ぶことができるキモチワルイ兄弟だと心底思いました。
白旗神社についてはこちらにまとめています↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/shirahatajinjya/

全成の首かけの松は枯れてしまい、現在は切り株を模した碑になっていて保育園児たちが遊んでいることもあるそです。
子供たちは首が掛かった場所とは思っていないでしょうね。
正面

切り株に似せた

背面

上の方に「首掛けの松の跡根」と刻まれています。
首掛け

話しを戻して法要に続いて奉納演劇「公暁-Revolution-」
公暁が源実朝を狙った原因かも?しれない内容で、北条政子が悪役でした。
時々急に歌が入り、ミュージカル風。
歌

戦い

公暁も討たれました。
最後

この劇のパワーアップバージョンを4月に東京で上演されるそうです。
詳しくは劇団 風に吹かれてのFacebookページをご覧ください。
https://www.facebook.com/kazefukagekidan

最後にパネルディスカッション。
前半
公暁が実朝を狙った理由、公暁の位牌がなぜここにあるのか、など。
公暁は人物像がわからないそうです。

当時は北鎌倉へ向かう道はなく、平家の残党を閉じ込めるのに最適な場所があり残党たちが源氏を根絶やしにするため公暁を利用したのかも?や、実朝に恨みはなく実朝を大切に思う人々の一番大切に思うもの(実朝)を奪う為に実朝を討ったのでは?など様々な見解が飛び交いました。

私からすれば源氏=身内で潰し合いなので特に疑問もなく「源氏だから」が答えになってしまうため、考えさせられました。

沼津市文化財担当の方は大泉寺境内から複数の石塔の破片が見つかっていて今は阿野全成と時元の墓が残っているが実はもう一基あったのかもしれないし、暁の文字を持つ人物(うろ覚えですが確か阿野全成の息子の一人)がいてその人と混同されているのかもしれないなど興味深い推測をお話されました。

演劇に大鎧で登場された歴史と文化の案内人の方は、現地を歩いたり色々な人の話を聞き、自分なりの意見を持つことが大切だと締めくくられていました。
歴史は分からないことだらけなので本当にその通りだと思いました。

公暁供養塔計画発起者の善哉庵:ぜんざいあん:店長さんは公暁愛を大泉寺の真ん中で叫んでいらっしゃって、自分は研究者でもなくオタクだと話されていて非常に共感しました。
また、供養塔の話を大泉寺さんに持ち掛けた時、住職さんは頭おかしい人が来たと思われたそうですが本当に公暁が好きでアツイ(ご本人曰く暑苦しい)方で、以前よりSNSで拝見し一度お会いしたいと思っていたので良い機会になりました。

※※公暁供養塔計画については下記「公暁供養塔計画-KGY PROJECT-」をご覧ください※※
https://kgy-project.amebaownd.com/

後半
司会は演劇の公暁役の方。声がとてもキレイ!!

パネルディスカッションで全行程終了、すぐに片付けが始まったのでゆっくり出店をみることができませんでした。
でみせ

今後も色々お祭りなどを計画されているそうなので機会があれば早めに到着するようにしようと思いました。

また、思うところがあったのは、境内図がなかったのでトイレは本堂の裏と書かれても本堂だと思った建物が本堂ではなかったり、男子トイレ女子トイレの文字が薄すぎてわかりにくく、初めて参拝した者には手厳しいかと。

公暁祭自体はとても充実した内容だったので来年に期待したいと思います。
皆様、ありがとうございました。
以上、平家好きな個人的なレポートでした。

公暁供養塔を計画されている善哉庵さんの記念品も!!
右は200円で購入。供養塔の資金になるそうです。左は購入者先着でいただける缶バッジ。
缶バッジのデザインは公暁の幼名「善哉:ぜんざい:」にちなんでかな🤣
限定

住所
静岡県沼津市井出744
交通
JR原駅が最寄駅
交通は基本、車のようで東井出バス停がすぐ近くにあるのですが、本数が限られているので当てにはできず、徒歩は車通りが多い道路または農道を約30分。

参拝について
境内自由
参拝日
2024/02/24
公式ホームページ
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