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源太坂<静岡県富士市>

坂のカーブにある

梶原景季にちなむ『源太坂』
源範頼・義経軍と木曽義仲軍が戦った「宇治川合戦」の時に活躍した名馬の話しがこの地に伝わっています。

住所
静岡県富士市今泉
吉原高校の西側の坂
交通
岳南鉄道「本吉原」駅徒歩20分

※この周辺には富士川合戦の史蹟が複数あり、本吉原駅から源太坂へ向かう途中、和田義盛ゆかりの和田神社(静岡県富士市今泉8丁目7)がある

探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2017/09/16
備考
解説板より
元暦元年(1184年)、木曽義仲追討のため、源頼朝は弟の範頼・義経を大将とした六万の軍勢を鎌倉から京都に向わせました。
この軍勢には頼朝の重臣である梶原源太景季が加わっていました。
源太景季は日頃から頼朝の持っている「生食(いけづき)」という名馬をほしいと思っており、出発のときこれを願い出ましたが、許されず替わりに2番目の「磨墨(するすみ)」という名馬を拝領しました。

ところが、頼朝はこの後に出発のあいさつにきた佐々木四郎高綱に「生食」を与えてしまったのです。
そのことをこの地で知った源太景季は、頼朝の信頼が四郎高綱より薄いと感じ、ここで四郎高綱と刺し違えて死のうと待ち構えました。
この気配を知った四郎高綱は機転をきかせ「この生食は拝領したものでなく盗んできたのだ」と言ってその場をおさめたといわれます。

以来この地は名馬「生食」と「磨墨」の馬くらべをした地として現在に知られています。

平成元年2月  富士市教育委員会

梶原源太景季ゆかりの源太坂

池月は平家物語には「生食」と記され、読み方は同じ「いけずき(いけづき?)」です。
↓池月と頼朝の出会いはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/ikeduki-douzou/

源氏軍同士の争いになっていた可能性が…

平家物語覚一本によると梶原景季は生食を頂けるように熱心に願い出たが、万が一の時に頼朝が乗る馬だからと断れました。
にも拘らず佐々木高綱が義仲追討の出陣に前に、頼朝に挨拶に参上した際に「生食を欲しがっているものは何人もいる」と言いながら何故か高綱に与えてしまいました。
頼朝の心のうちは謎ですが、高綱は察したのか約束します。

この生食で必ず宇治川を真っ先に渡りましょう。もし高綱が死んだと伝わったなら先陣を誰かに越されたのだとお思い下さい、と。

そして景季も高綱も鎌倉を出発し、義仲追討の為に宇治川へ向かいます。
途中、駿河の国の浮島が原の高い場所で景季が自分の磨墨より優れた馬はいないか見て確認していた時、自分が一番欲しいと思っていた生食と思われる馬に乗った佐々木高綱が目に留まりました。
高綱に話しかけ、この馬が生食だと確認した景季は解説板に書かれているように高綱と刺し違える気でいましたが、高綱の機転により惨事は免れました。

それがこの地です。
静岡県の源太坂

宇治川に到着し、生食と磨墨のどちらが先に流れの早い宇治川を渡りきるか、先陣争いの話しにつながります。
先陣を切ったのは……平家物語に争いの様子がイキイキと描かれていますので読んだことのない方は、ぜひご一読ください。

碑は歩道の植込みにあり、季節によっては木々に埋もれて見えにくい場合も(^^;
木に隠れる碑

交通量が多いカーブ付近ですが、歩道にありますので落ち着いて解説を読んだり写真を撮ったりできます。
結構急なカーブ

住宅などが立ち並ぶ一角に、当時を偲べる碑だけでも残されているのは嬉しいですね。
源太坂

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