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源義朝 公 内海上陸の地<愛知県知多郡>

浜辺
【このページの写真は20221年12月29日】

平治元年12月、京で平治の乱に敗れた源義朝一行は東国を目指し落ち延びます。
その途中で目指したのが義朝の乳母子・鎌田政家の妻の実家、知多半島の長田忠致:おさだただむね:の屋敷。
現在の岐阜県大垣市付近から船に乗り、上陸したのがこの付近とされています。

碑

息子の頼朝は数え年13歳、しかも初陣。戦の疲れか逃亡途中ではぐれてしまったため、ここに頼朝は同行していません。

説明も何もなくこの棒一本が立つのみ。しかも文字が消えかけています。
上部

上陸した日。平治元年(1159)12月28日。
真ん中ころ

しかし、ここから東へ徒歩25分ほどの住宅街には「源義朝の路」の説明板があり、設置されたころ?の写真が載っています。※これについては後日別ページに載せる予定です。
文字がはっきりしているころの写真

場所の説明が難しいのですが、周辺は写真のような風景です。(地図は下記)
堤防?が見える

宿泊施設の近く

南側には海水浴場があり、この周辺も夏には人が多いのかも??しれませんが、真冬の誰もいない浜辺でこの碑のみをゆっくり探し歩くことができました。

住所
愛知県知多郡南知多町
交通
名鉄「内海」駅から西へ徒歩約30分

探訪について
自由
目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★☆
探訪日
2021/12/29
備考
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