武人としても歌人としても名を馳せた源頼政は鵺退治でも有名。
平清盛より14歳年上で、鬼退治で知られる源頼光の子孫です。
源頼政の所領地であったこの地にこの迫力ある像が建てられいます。
上記の写真左下には「源三位頼政公ゆかりの地」と書かれた案内図があります。
2013年当時の写真で、かなり文字がかすれています。現在は新装されているようです。
参道を少し歩くと頼政の鵺退治の像が見えてきました。
仁平3年夏 近衛天皇は奇病になやまされておりました。
深夜になると黒雲が御所をおおい鵺の鳴き声が聞こえてその度に天皇は苦しまれた。
薬も名僧たちの祈願も効なくやがて雲の中に住む妖怪のしわざと考え弓の名手源頼政に妖怪退治が命じられた。
きっと見上げた頼政は力一ぱい弓をひき「南無八幡大菩薩」と心の弓に祈念して矢をはなつと見事命中、落ちてきた怪物を家臣の者の早太が刺し殺した。
火をともして見ると頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、恐ろしいという以上である。
天皇は感心され獅子王という名剣を下された。
高松町郷土史研究会
※家臣の早太の供養塔は西脇市駅近くにあり、このページに下部に記載しています。
鵺のアップも。
角度色々
どこから見ても迫力ありますね。
源三位頼政公像建立由来
源三位頼政公は摂津多田源氏の末裔にして平安末期以仁王の令旨を奉じ平氏追討の兵を挙げ我が国中世国家への転機をつくった武人であり、新古今集千載集等に秀歌を残した歌仙でもある志半ばにして治承4年(1180年)武運つたなく討死。
その墳墓が所領地であった当高松山の一角に悠久の歴史を秘めて苔むし●●の●仰を集めている。
平家物語に「夜●御所の紫宸殿に出没し 帝を悩ます●●●を弓術の達人源頼政が射止めた」とある
●●は頼政公八百年忌の記念事業として鵺退治の勇姿を再現したものである
源三位頼政公奉賛会
長明寺山門前の鵺イラスト。
頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎。
銅像からこの道を進むと頼政池が広がっています。
歌碑も。
頼政が討たれたのは京都の平等院ですが、愛妾の菖蒲御前(菖蒲の前)と共に墓が建てられいます。
奥が菖蒲御前の墓です。
頼政の墓
こちらが御前
菖蒲御前は鳥羽院に仕えていたと云われています。
頼政が思いを寄せていたことを知った鳥羽院が、似たような数人の中から菖蒲御前を見つけられるか頼政を試したことがありました。
頼政は「菖蒲」の名を織り交ぜた和歌を詠んだことがきっかけで成就したという話しがありますが、菖蒲御前については情報が少ないように思います。
※菖蒲御前の墓や供養塔は各地に伝わっています。
境内の写真も少し載せておきます。
この辺りは電車の本数が多くありませんが、長明寺は駐車場完備です。
南東の方向には平資盛軍と源義経軍が戦った三草山があり、車で行けると便利です。
②JR「西脇市」駅から南東へ徒歩25分
どれみこども園の南側が参道です。
山門前に神姫バス「長明寺」がありますが、西脇市駅から直通はないため徒歩の方が早いです。
https://www.city.nishiwaki.lg.jp/
YouTube「西脇市公式チャンネル」では頼政祭の動画が公開されています。
第39回→https://www.youtube.com/watch?v=LgHCW0uuwFw
第38回→https://www.youtube.com/watch?v=5blUUE5sSb8
頼政と一緒に鵺退治をしたと伝わる猪早太(いのはやた。井早太とも)の供養塔がJR西脇市駅から徒歩2分ほどの場所に建てられています。
訪れた当時はこの供養塔の存在を知らず写真だけ撮っており、後日、西脇市ホームページで知りました↓
末裔の方により建てられた塔なんですね。
https://www.city.nishiwaki.lg.jp/
最寄りのJR西脇市駅前の様子。
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