安宅の関は源義経を捕らえるために設けられた関所。
壇ノ浦合戦後、源頼朝から追われる身となった義経は東大寺再建のための山伏に変装し身を潜めながら奥州を目指しました。
その途中、ここを通ろうとした時に山伏なら勧進帳(寄付金などが記されている)を持っているはずだと提示を求められました。
弁慶の機転で白紙の巻物を広げ、勧進帳であるかのようにすらすらと読み上げます。
これで通れるかと思えば、荷物持ちの人物が義経ではないか?!と見破られそうになり、弁慶がおまえのせいで疑いがかけられたと義経をさんざん金剛杖で打ちのめしました。
仕えている者が主を打ちのめすことは考えられない時代、こうして疑いが晴れた(富樫が弁慶の心中を察して見逃したとも)一行は先を目指しました。
※これは歌舞伎などで、元の話は如意の渡だと云われています。
富山県高岡市 | 弁慶が義経を打ちのめして疑惑を晴らした 如意の渡 義経・弁慶像 >> |
武蔵坊弁慶 源義経 |
このページでは主に下記5箇所を取り上げています。全て2010年5月3日の写真です。
安宅関跡
義経、弁慶、富樫の像
関の宮
勧進帳ものがたり館
安宅住吉神社
リニューアルされている施設もあるのでまたゆっくり訪れたいです。
駐車場近くに設けられている安宅関。
笹竜胆紋!
ここは海が近いです。
智・仁・勇で表される(左から)義経、弁慶、富樫の3人の像。
弁慶・富樫の銅像は歌舞伎で有名な七代目松本幸四郎・二代目市川左団次をモデルとして昭和
年彫塑家の都賀田勇馬氏により制作されたものである。
左端の義経像はその子息都賀田伯馬氏が平成7年10月に制作した。
ここに親子二代に亘り勧進帳の主役三体の像を完成させたものであります。
石碑に刻まれた智・仁・勇の文字は永井柳太郎氏の自筆で、智は弁慶の知恵、仁は富樫の情け、勇は義経の勇気であり我国古来の国民性の美しさを端的に表現している言葉である。
財団法人 安宅観光協会
なぜか祀られている義経と富樫。活躍したのは弁慶では?!
弁慶の七つ道具などの展示の他、牛若丸と弁慶Tシャツなどもありました。
↓まるごと・こまつ・旅ナビホームページによるとリニューアルされているそうです。
http://www.komatsuguide.jp/index.php/spot/detail/105/1/3/
※隣接のカフェ「勧進帳の里・安宅ビューテラス」も現在はリニューアルされ「安宅の関」こまつ勧進帳の里へと名称も変更されているそうです。
参考:環境王国こまつホームページ
https://kankyo-okoku-komatsu.jp/article/389/
弁慶の像がお出迎え。
難関突破の御守りは安宅住吉神社だけとか。記念に。
安宅住吉神社公式ホームページ
http://www.ataka.or.jp/
安宅関は見どころ多数です。ゆっくり時間をとって巡るくことをお勧めします。
打ちのめしたことを謝罪した地・石川県能美市に銅像が建てられています。
道林町 | 安宅の関を通るために弁慶が義経を打ち、後に謝罪した 弁慶謝罪の地 >> |
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