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頼政薬師寺<兵庫県神戸市>

ひっそりと

山陽電車の須磨寺駅から細い住宅街の道を北方向へ進むと奥まったところに見えるのが頼政薬師寺。
正式名称は「浄福寺」ですが、源頼政が再興したことから通称頼政薬師寺と呼ばれています。

解説板より
寺号を浄福寺(俗に頼政薬師)と言う。
浄福寺はこの地、西須磨の旧家前田氏の建立と伝えられ、御本尊は、薬師如来。
聖徳太子の御作で像高は、一尺ばかり。脇士は十二神将。

久寿の頃(1154・1155年)源三位頼政が再興したことから、俗に頼政薬師と言われている。

そしてまた、本堂と十二神将は、尼崎藩主青山氏の寄付と伝えられている。当時西須磨地区は尼崎領であった。

明治以前浄福寺では、毎年1月8日薬師統人といって、この里の人が集まる儀式があり、座敷に松竹梅の三宝をかざり、その上座には、薬師如来をまつり、全員がかみしもを着用し謡曲で興がそえられた。

この儀式に参加することによって始めて、村人として、その資格が認められた。

夜には、鬼追い式がおこなわれ、鬼踊りと称して仮面をかぶった鬼が里人を狂ったように追い回したという。

この鬼追い式は、非常に有名で、当時の須磨の一番大事な祭りであったと言われている。

最近は、形を変えてこの伝統行事が受け継がれ、西須磨協議会会員が中心となって、同じ1月8日に、西須磨地域の繁栄と同地域に住む人々の家内安全を祈願されている。

浄福寺は、平成7年1月17日午前5時46分、当地域を襲った阪神・淡路大地震により倒壊し、平成11年11月に再建された。

一説

ちなみに徒歩8分ほどのところにある須磨寺の御本尊・聖観世音は源頼政が安置し3箇所の寺領も寄進したそうです。
これについては須磨寺の小池弘三住職が書かれた書籍『日本の古寺⑦ 住職がつづる須磨寺物語』で紹介されています。

表でまとめてみました。

年代 頼政との関わり この年の他の出来事
久寿の頃
(1154~1155)
浄福寺を再興
(後に頼政薬師寺と呼ばれるようになる)
頼政51~52歳
木曽義仲 誕生(1154)
平徳子誕生(1155)
嘉応元年
(1169)
須磨寺に聖観音を安置し寺領を寄進
頼政66歳
平清盛が後白河上皇を福原に招き千僧供養
後白河上皇、法皇になる

一見、寺院とは分かりにくいかもしれません。
奥に

自由にお参り出来るのは境内のみ。
自由

本堂は係りの方と一緒でないと拝観できません。
門扉は朝夕に係りの方が開け閉めをされています。

夕方、お参りしていると係りの方が閉めに来られて拝観させていただけました。
拝観申込みの連絡先も伺いましたが、個人情報のため掲載は控えておきます。
施錠

浄福寺

再興

源頼政ゆかりのこの頼政薬師寺、そして須磨寺。
一ノ谷合戦もあったこの地は地域の人々の手で守られています。

住所
兵庫県神戸市須磨区桜木町1丁目-4-6
交通
山陽「須磨寺」駅から北へ徒歩3分

参拝について
境内は日中 自由
堂内は要連絡
参拝目安時間
境内10分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2008/04/27、2012/08/11、2019/05/04
備考

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