治承4(1180)年5月26日、源頼政が平等院の扇の芝で自刃してから837年―。
2017年は838回忌、初参列してきました。
平等院では毎年5月26日に「頼政忌」が催されています。
※どなたでも申込み不要で参列可能(要・平等院の拝観料)
平家物語覚一の内容を参考に簡単にまとめると、頼政の息子・仲綱が平宗盛に愛馬の木の下を奪われ、侮辱されたことに激怒。安徳天皇が即位したことで皇位継承の望みが薄くなった以仁王(もちひとおう)に平家追討の令旨を出させて頼政も挙兵。
この合戦は平家物語では橋合戦として描かれています。
頼政は数え年で77歳。約21年前の平治の乱で平家側についた頼政は平家全盛期の中、優遇されていましたが、園城寺の僧兵たちと共に平知盛率いる平家軍と戦い、左膝を射られ辞世の句を詠んで自刃。
平家物語では息子の仲綱は平等院の釣殿で自害したと書かれていますが、現在の平等院の案内図には釣殿が見当たらないようです。
・最勝院(頼政の墓)
・扇の芝
・浄土院(通円の墓)
先ず塔頭の一つ、最勝院の頼政のお墓の前で10時から読経と焼香。
そして住職さんからみた頼政についてのお話し。武士としての頼政、自刃のことなど。
引き続き、自刃した扇の芝へ移動し読経。
頼政は西を向いて自刃したそうです。頼政と同じように東を背に、西を向いて見るこの角度が最も扇の形に見えると思いました。
記念品が配られ、約30分で終了。参列者は20人前後、子孫の方もいらっしゃいました。
観光客で賑わう平等院の一角で比較的ひっそりと執り行われているのが、とても不思議な感じがしました。
その後は友人と声を掛けてきて下さった参列者の方、合計4人で行動開始!
平等院内にある茶房「藤花」で抹茶を頂きました。上品♫•*¨*•.¸¸♪
話しをしているうちに意外なところで繋がっていたことがわかったり、ゆっくり色んな話ができて良いひとときを過ごせました♪
そして、頼政と一緒に戦い、討死した通円のお墓へ。塔頭の浄土院入ってすぐ右手。顕彰碑もあり、鳳凰堂を背景に佇んでいます。
通円は頼政の家臣で、元の名は古川右内。隠居後に「太敬庵通円政久」と名を改め橋合戦の時に援軍に駆け付け、討たれました。
通円について私はほとんど知らなかったのですが、連れて行っていただいたお陰でしっかり認識しました!
平等院を後にして、その通円の子孫の方が営業されている通圓茶屋へ。
子孫の方は橋守となって宇治橋のたもとでお茶を出していたのが始まりだそうで、現在も宇治橋のたもとにお店があります。
昼餉、甘味メニュー豊富♪山菜茶そばを頂きました。
宇治橋を背景にソフトクリームのはずが橋が明るすぎて写ってない(笑)
源氏軍が宇治橋の板を外し、平家軍が馬筏を作って渡った宇治川は現在でも水量が多く見えました。
旧暦の5月26日は6月末~7月頭頃。梅雨真っ只中?!もしかするともっと水量が多かった??など当時の川の様子を想像しながら、平家から見た頼政はどんな人物だったのだろうなど、当時に思いを馳せた一日でした。
約5秒の動画ですが、宇治川の流れの速さが伝わるかと思います。
記念品は宇治煎茶と緑と白の薯蕷饅頭。
新緑がとても綺麗な季節で、お聞きした話しではこの10年間の頼政忌は毎年晴れているそうです。
良いご縁をありがとうございました。