伊賀平内左衛門家長:いがのへいざえないもん いえなが:は平家に仕える平貞能の子供で、平知盛の乳母子です。
室山合戦などに出陣し、壇ノ浦合戦では知盛と手を取り合って入水したと云われる人物ですが、香美町畑では平有盛たちと落ち延びてきた伝説が今に残されています。
八柱神社では家長ゆかりの石仏を拝むことができます。
八柱神社より約500m北の256号線の道路上に「平家之史跡 畑」の碑が建っています。
背面には昭和47年秋畑部落 建立。
↓平家之史跡 畑 の碑の場所
畑区公民館前の広場には「平家落人伝説の里」の案内が!!
↓畑区公民館
ここからは『但馬海岸の平家落人伝説(改訂版)』の内容を参考に写真を綴っていきます。
畑の集落は元々この山中に隠れ住んでいた平家落人たちが移り住み、山中には
・平家平:へいけなる:
・馬冷やし
・馬場平:ばばだいら:
・矢立松
・烏帽子岩
・御屋敷:おやしき:
の地名が残されているそうです。
落ち延びてきたのは
伊賀平内左衛門家長(平家長、平知盛の乳人子)
小松左近衛少将有盛(平有盛、平重盛の四男)
大江甚五衛門尉仲盛
郎党たち
家長と平家の関係図を簡単にまとめました。
集落には藤原、伊賀、小松姓を名乗る旧家があるそうです。このページでは家長ゆかりの石仏があるというハ柱神社を訪ねてきました。
上記の畑区公民館から徒歩約2分で到着。
本殿?の後方に稲荷神社があり、その奥の広まった一角に伊賀平内左衛門 家長ゆかりの石仏がありました。
手前が石仏で、奥の石には伊賀●●(●は個人名?)と刻まれています。
『但馬海岸の平家落人伝説(改訂版)』には「伊賀平内左衛門家長ゆかりの石仏」とだけ記され写真は掲載されていますが、どのような由来の石仏かは謎です。
由緒などはありませんでしたが一面の落ち葉が綺麗でした♪
今では道路も通り平家之史跡 畑の碑も建てられていますが、落人たちの当時の生活の苦労などを想像すると物悲しくなりませんか?