畠山重忠の出身とされる深谷市のホームページ(http://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/kyoiku/bunka/oshirase/1491186726389.html)によると、源頼朝挙兵時には平家方だったがその後間もなく頼朝につき、厚い信頼を得る存在となり、合戦で活躍したとされています。
源頼朝より17歳若い畠山重忠。
ちなみに父の畠山重能と重能の弟・小山田有重は平家方。(平治の乱前後から?)
また、一ノ谷合戦の坂落しのとき、愛馬・三日月を怪我させないように重忠が背負って急な斜面を降りたという話も(源平盛衰記)
重忠は乳母子の榛沢成清のところに度々通っており、平家方か、それとも源氏方につくべきか成清に相談もしていたとされています。
年代などははっきりしませんがそんなある日の出来事がこの鶯の瀬と呼ばれる所以となっています。
鶯の瀬
所在地:大里郡川本町大字畠山
荒川のせせらぎの聞こえるこの地を鶯の瀬といい、増水時でも川瀬の変わらぬ浅瀬である。
ここは、畠山重忠公が榛沢六郎 成清:はんざわ ろくろう なりきよ:のもとに行き、帰路豪雨に逢い、洪水で渡れないでいるときに一羽の鶯が鳴いて浅瀬を教えてくれたと言い伝えられており、その故事を詠んだのが次の歌である。
時ならぬ岸の小笹:おささ:の鶯は
浅瀬たずねて鳴き渡るらん
また、この上流には、古くから熊谷市・江南村方面にかんがい用水を送ってきた六堰:ろくせき:があり、遠く秩父連山を眺めながら鮎、ウグイ(通称ハヤ、クキ)等の釣り場として親しまれている名所でもある。
写真は1月…少し寂しい風景になりました。
背面にも同じく和歌の謂れが書かれ「畠山重忠公史蹟保存会員並びに有志の寄附により建立す 昭和33年4月16日」と刻まれています。
一息つける場所も。春に来てみたい!
そして鶯の瀬のすぐ北側を流れる荒川。
この荒川にかかる橋の一つが「重忠橋」
「重忠橋(北)」の交差点はその名の通り重忠橋の北側です。
↓重忠橋(北)交差点はここです。
この周辺は車で移動できれば便利です。他にも重忠史蹟を順次載せていきます。