現在のぺージ
Home > 平盛俊 > 平盛俊の墓(盛俊堂)<兵庫県神戸市>

平盛俊の墓(盛俊堂)<兵庫県神戸市>

右から左へ

剛勇で知られる平盛俊は平家に仕える武将。父の平盛国も平家に仕え保元の乱、平治の乱に出陣しています。
盛俊は一ノ谷合戦で討取られ、墓は盛俊堂として大切にされている様子です。

盛俊堂

住所
兵庫県神戸市長田区庄山町3丁目2
交通
山陽電車もしくは神戸市営地下鉄「板宿」駅徒歩8分

参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2018/02/18他
備考
解説板より
平盛俊は、平家屈指の武将であり『一ノ谷合戦』として知られる源平寿永の戦い(1184)では、山手の侍大将として鵯越下の明泉寺に布陣していた。
しかし、源義経の「坂落し」によって陣を破られ、この辺りまで後退して寄せ来る源氏を待ち伏せたという。

そこに現れたのが源氏の猪俣小平六則綱。
盛俊は「六七十人力」の豪傑だから、たちまち彼を組み伏せてしまった。
だが、ずる賢い小平六の必死の命乞いに、力持ちだが気のやさしい盛俊がこれを聞き入れてしまったのが失敗のもと。

折りしも別の源兵の駆け来るのに盛俊が気を取られている隙に、小平六は盛俊を泥田の中に押し倒し、相手の太刀を引き抜きざま滅多突きしたため、さしも剛勇の誉れ高い盛俊も、この地において無念の最期を遂げたと伝えられる。

堂内の五輪塔の一基は室町期以前のものと推定される。

長田区役所まちづくり推進課
平成5年1月設置

一ノ谷合戦の盛俊について

平盛俊の墓(盛俊堂)

盛俊堂は5cmほどしか開きません。その隙間から堂内を見られます。
盛俊堂

五輪塔が複数確認できます。
堂内の様子

もう1つの解説。
源平ゆかりの地 神戸へようこそ

解説板より
西門の敗戦を受けた北門の大将越中前司平盛俊は、明泉寺から南へ逃げ延びる途中で、源氏の猪俣小平六則綱と一騎打ちとなります。
双方むんずと組み付いて戦いましたが、盛俊が優勢となり則綱が降参したためあぜ道で2人が休んでいるところへ、源氏の人見四郎が近づいてきました。

近づく敵に気を奪われてた盛俊は、則綱に襲われ首を討たれてしまいました。
なお、明泉寺付近にも、盛俊の石碑が公園内に建てられています。

北城戸の戦い

盛俊の墓から西へ徒歩2分、アーケードのある板宿商店街を少し進むと↓↓

敦盛パイ

和菓子もとはしさんの敦盛パイ。中身は栗、きんかんの他、季節により数種類見かけたことがあります。
160円(税込)

板宿商店街で販売の敦盛パイ

一時は製造を中止していたそうですが、2018年現在販売されています!

住所
兵庫県神戸市須磨区前池町2-3-1
交通
山陽電車もしくは神戸市営地下鉄「板宿」駅徒歩6分

お土産にいかがでしょうか(^^)/

Share
Top