源義経の側室で有名な白拍子・静御前。
終焉の地は複数説がありますがそのうちの1つが奈良県大和高田市です。
大中公園の記念碑の他にもこの周辺にはいくつか史蹟が残されています。
終焉の地は複数説がありますがそのうちの1つが奈良県大和高田市です。
大中公園の記念碑の他にもこの周辺にはいくつか史蹟が残されています。
住所
奈良県大和高田市大中183(大中公園内)
交通
近鉄高田市駅徒歩12分
JR高田駅徒歩17分
池の東側に碑があります。
JR高田駅徒歩17分
池の東側に碑があります。
探訪について
公園内自由
探訪目安時間
10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2008/08/31
備考
公園両側を流れる高田川沿いは桜が有名です。
記念碑背面より
静御前は大和高田の宿の長者磯禅師の娘といわれる。
京に遊んで歌舞の名手となり、立烏帽子に水干鞘巻を帯びたる麗姿は都人の賞讃をあびた。
静御前は大和高田の宿の長者磯禅師の娘といわれる。
京に遊んで歌舞の名手となり、立烏帽子に水干鞘巻を帯びたる麗姿は都人の賞讃をあびた。
かくて源義経と結ばれたが頼朝に追われ吉野山に義経と別れ捕えられた。
鎌倉鶴岡八幡宮の社頭、頼朝・政子の前に夫を想う曲を舞い、後許されて大和に帰り母子とも磯野の里におわるという。
ここに静御前の遺跡を示す村絵図により記念碑を建つ。
昭和五十三年七月 高田川を美しくする会
解説の「大和に帰り母子とも磯野の里におわるという。」の『母子』は礒野禅尼(磯野禅師)と静のことで、静御前終焉の地は複数説があります。
静御前記念碑
しずやしず 賤のおだまき繰り返し むかしを今に なすよしもがな
頼朝と不和となり、逃亡を続ける義経一行に静も付いて行きますが、女人禁制の吉野山で泣く泣く別れた後追っ手につかまりまり、鎌倉へ送られます。
記念碑に刻まれているこの歌は鎌倉で源頼朝・北条政子の前で舞を舞わされた時に源義経を慕って詠んだ歌です。
この時、静は義経の子供を身ごもっており、鎌倉で出産した子供は頼朝の命により命を奪われました。
(北条政子が何とかして静の子供を助けようとしたけど助けられず…でもこの政子の行動には泣けます!)
その後の静の消息は複数の説がありますが、静の母・磯禅師のいる奈良県大和高田市で生涯を終えたという伝承が残されています。
記念碑の側に静御前めぐりの解説板が建てられています。
・衣掛けの松
・笠神の杜跡
・石園座多久蟲玉神社
・静御前の塚跡
・弁慶七つ石(春日神社内)
静御前めぐりをしながらこの公園で一息つくのもお勧めです。