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来迎寺(築島寺)<兵庫県神戸市>

通称は築島寺

経ヶ島を築く際に難工事のため、人柱となったと云われる松王丸の供養塔があり、壇ノ浦合戦後、この付近で平家一門を弔った白拍子・妓王、妓女(祇王、祇女)の供養塔も建てられています。
(妓王、妓女についてはこちら → https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/giouji_shi/

供養塔

住所
兵庫県神戸市兵庫区島上町2-1-3
交通
神戸市営地下鉄「中央市場前」駅から北へ徒歩4分

参拝について
境内自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2013/07/13、2018/02/17、2019/07/13
備考
解説板より
■松王小児入海之碑
二条天皇の御代、平清盛公はわが国の貿易の中心はこの兵庫であるとの確信をもって、良港を築くため海岸線を埋め立てる工事に着手した。

しかし、潮流が早く非常な難工事で、完成目前に押し流されることが二度に及んだ。
時の陰陽師は「これは竜神の怒りである。30人の人柱と一切経を書写した石を沈めると成就するであろう」と言上した。

そこで清盛は生田の森に隠れ関所を構え通行の旅人を捕えさせたが、肉親の悲歎は大きかった。
このとき、清盛の侍童で香川の城主田井民部の嫡男松王17歳が「人柱のことは罪が深い。わたしひとりを身代りに沈めて下さい」と申し出た。

応保元年(1161年)7月13日、千僧読経のうちに松王は海底に沈み経ヶ島造営は完成した。
現在の神戸港の生い立ちである。天皇は大いに感動されて、松王の菩提を永く弔うため当寺を建立し、念仏の道場とされた。

依って経島山来迎寺不断院と号し、通称築島寺の縁起である。

■妓王 妓女の塔

妓王と妓女は姉妹でともに京堀川の白拍子であった。
清盛の寵愛を得て優雅な日々を送っていたが、清盛の心が仏御前に傾くに及び世の無常を歎き、嵯峨野に庵(いまの妓王寺)を結び仏門に入った。

その後、平家が壇の浦で破れたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(当寺の末寺)に住侍して一門の菩提を弔った。

松王丸と妓王

【補足】
解説板の最後の一文に出てくる『八棟寺』
「神戸アートシリーズ 平家物語と神戸」によると八棟寺は清盛の菩提寺、または宇治川で水死した二男・基盛を弔うため清盛が8人の持経者をおいて毎日法華経転読させたなど、はっきりとはしていないそうです。
杜山悠 著

↓これは徒歩約10分の清盛塚の一角にある八棟寺無縁如来塔
小さいですが「平相国菩提寺」と碑に刻まれています。※平相国は平清盛公のことです。能福寺には平相国廟があり、毎年命日法要が行われています。
八棟寺跡

松王丸の命日

解説にもある通り、松王丸の命日は7月13日と伝わっています。
命日法要は公開で行っているものではありませんが、2019年7月13日にお参りすると偶然にも命日の読経に立ち会えました。
松王丸供養塔

お供えの花

お線香

本堂は通常、施錠されていますが境内の供養塔はお参り自由です。

2013年ころに聞いたお話では毎年命日には香川県から子孫の方がお参りに来られているということでしたが2019年に改めてうかがうと、高齢になりお参りが難しいとのことで数年前から住職さんが時間も定めずにお一人で読経されているそうです。

来迎寺は清盛七辨天の一つで、松王丸のイラスト。
清盛七辨天の一つ

通称名の「築島寺」は人工的にいたの上に建てられたことに由来しています。
開基は清盛公

近くの交差点は「築島」
中央市場前駅すぐ

来迎寺では松王丸が人柱となったと伝えていますが、その他、人柱は罪深いため経文を刻んだ石を沈めた説もあります。

築島水門

来迎寺のすぐ側には築島水門があり、神戸・清盛隊が描かれています。
流石、平家ゆかりの地!!
水門と来迎寺

2018年に完成した清盛ゆかりのまち兵庫

これは清盛隊の岡方俱楽部出陣「平家ゆかりの地ガイドツアー」の時の写真(2015年6月14日)
左から敦盛様、知盛様、松王丸供養塔を挟んでGIONさん、ガイドの高松さん。
懐かしい写真

この日の清盛隊の公式ブログはこちら↓
https://ameblo.jp/kobe-kiyomoritai/entry-12038836097.html

またこんな機会があることを願います!!

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