平清盛が49歳(数え年)の時に創建。
平家の勢力が増している時で、六波羅にあった屋敷以外に別邸を構えたのが西八条第で、広大な面積をほこりました。
2kmほど東にある梅小路公園も西八条第の敷地で解説が建てられ、清盛が好きなヨモギが多数植えられ蓬壺:ほうこ:と呼ばれたことなどが記されています。
社伝によると、宝亀3年(772)、唐から渡来し天王寺に居住した威光上人が、紀州熊野を詣でた際、迷い苦しむ人々を救済しようと、御分霊若一王子の御神体を背負って旅立ち、当地の古堂で一夜を明かしたところ御神託を授かり、堂中に安置した。
その後、当地は荒廃したが、平清盛公が六波羅に在住していた頃には、
当地は浅水の森と称し、風光明媚な土地として名を馳せており、平清盛公は当地に西八条御所と称される別邸を造営した。
仁安元年(1166)、平清盛公が熊野詣でをされた際に、「土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ」との御神託を授かった。
帰京後、邸内を探したところ、東方の築山が夜光を放っており、清盛公自らが三尺ほど掘ったところで、土中から若一王子の御神体が現れ、当地に社殿を造営し鎮守した。
平清盛公が御神体に開運出世を祈ったところ、翌年仁安2年(1167)2月10日太政大臣に任ぜられたことから、
開運出世の神様として尊崇されている。
社前の楠の御神木は、平清盛公によって植樹されたものとされる。
例祭 11月10日
月旦祭 毎月 1日
月次祭 毎月 10日
旬祭 毎月 21日
歩道側に設置されています。
鳥居をくぐって右手に平清盛公像。
各地の清盛像は出家後の姿が多いですが、若一神社は衣冠束帯姿。
これにそっくりな御守りも用意されています、
他にも複数ありますが個人的に気になったのをご紹介。
左は木で出来た御守り
ストラップ御守りアップで撮ってみました。
ちょっと困った顔?
蝶紋もご利益ありそうです。
歩道を挟んで正面の大きな木は清盛お手植えのクスノキと伝わります。
バス通りに面した建物が立ち並ぶ中、反対側の道路から見るとここだけ木に包まれているかのようです。
以前テレビで紹介されていたのですが、この木を動かそうなどすると事故が起こるため道路がまっすぐに敷かれずこの木の分だけ出っ張っているそです。
右が楠のある歩道。バス停の辺りが確かに出っ張ってみえます。
2021年元日から販売された清盛公が描かれたてぬぐい。
楠が背景の素敵なデザインです。
下記の若一神社Facebookページの投稿を見て早速お参りも兼ねて行ってみました。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3510558112354657&id=943060925771068
てぬぐいは藍、碧、鬱金、藤の4色ありましたが、清盛公お手植えの楠に近い碧を選びました。
数量限定、在庫がなくなれば若一神社Facebookページ(https://www.facebook.com/%E8%8B%A5%E4%B8%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE-943060925771068)でお知らせしていただけるそうです。
湯浅金月堂さんで販売されているヨモギと餡の清盛餅。
コシ餡と粒餡。税込み150円(2021年1月1日現在)
店舗はもちろん、元日と神社の神事の時には若一神社境内で販売され、通常でも若一神社まで配達可能。
湯浅金月堂さんの店舗場所などはこちら↓
※定休日曜日
西七条南東野町 | 清盛が好きなヨモギを使った『清盛餅』 湯浅金月堂 >> |
平清盛 |
また、若一神社ではヨモギ祭があるそうです。
これはまだ参加したことがありませんのでいずれ。
社務所手前に設置されている御神水と白拍子・祇王の歌。
まずは祇王の歌碑について。
祇王:ぎおう:は平清盛お気に入りの白拍子で清盛から毎月 米を百石と金銭など百貫が贈られ、妹の祇女、母の刀自も大変裕福な生活を送っていました。
しかしある時、祇王より若い16歳の仏御前が自分の舞を見ていただこうと西八条第の清盛に面会を求めます。
祇王がいるからと取り合わない清盛に、せめて会うだけでもと言葉をかけたのが祇王。
仏御前が歌い、舞うと清盛の心は様変わりし、祇王を追い出してしまいました。
平家物語覚一本を参考にすると祇王が寵愛を受けていたのは約3年間。
そのときに祇王が書き残したのがこの歌です。
『萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき』
概略:春に芽を出し枯れていく草木も、もとは同じ野辺に育ち、いずれは秋に枯れしぼんでしまう
祇王が自分のために追い出されるとは仏御前も予想もしていない事態でした。
後ろめたさから元気のない仏御前を慰めるために、舞うように呼ばれたのが祇王。
しかも以前より格下げされた座敷です。
祇王はこの仕打ちに耐えられずに出家してしまい、妹、母も同じ道を選びました。
そして仏御前もいずれは同じように突然捨てられると悟り、出家して祇王たちのもとを訪れ一緒に念仏三昧の日々を送りました。
それが現在の祇王寺となっています。
嵯峨鳥居本小坂町 | 平清盛お気に入りの白拍子だった祇王たち親子が出家。 祇王寺 >> |
祇王 祇女 刀自 仏御前 平清盛 |
その左側にあるのが清盛公ゆかりの御神水で入れ物を持参すれば持ち帰り可能です。
平清盛が開運出世を祈願した若一神社。
何度も訪れたいと思う場所です。
様々な行事が行われ、一部ですがレポートにしております。
七条御所ノ内本町 | 2016年12月4日のレポート 若一神社850年祭 >> |
神事、白拍子による今様の舞など |
七条御所ノ内本町 | 2018年12月9日レポート 若一神社 平清盛公御生誕九百年大祭 >> |
篳篥、琵琶など |