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那須与市堂<京都府亀岡市>

建替え予定

一ノ谷へ向かう源義経軍に加わっていた那須与市(那須与一)。

急病のため動けなくなりましたが、阿弥陀如来の霊験で平癒しました。
ここには那須与市堂が建てられ、小高い場所で地域の方々により守られながら催事なども行われています。

ここが参道。柵が見える場所からさらに上にのぼります。
遠い

石

下の病封じ

弓の名手

一本道なので迷うこともなく、とにかく進みます。
上る

手すり

遠くの山も見えます。
下記写真、右側のコンビニの正面が歩いてきた参道入口です。
初夏か夏に来たい

ようやく建物が見えてきました。
公開日は公式サイトでご確認ください↓
https://www.nasunoyoichi.com/info
集会も

ふと右手に視界を向けると供養塔?が。
境内

祀る

解説板より
一条天皇の御代天文学の始祖安倍晴明に安行山山麓に法楽寺を建立阿弥陀如来像を本尊とし深く信仰した。

その後200年平家の一の谷攻めに丹波路に入った源義経に従った那須与市はここで病の為め動けなくなったがこの法楽寺本尊の霊験で快復した。

のち屋島の合戦ではこの霊符を身につけ再び霊験により有名な扇の的の武勲がたてられたので武士を捨て阿弥陀如来への信仰に余生を送ったという。

享保元年(1716)法楽寺は焼失したが焼け落ちた堂の跡には金色まばゆく本尊が立っていたといわれる。

今のお堂は見晴らしのよいこの地の信者により再建され那須与市堂と呼ばれるようになった。

ここにも

建物の壁にも説明が
山が迫る

解説板より
この与市堂は平安の昔、安行山に住居し阿弥陀如来の御徳によって天文学を極め天文博士となった阿部晴明がこの山に法楽寺を建立し恵信僧都の作佛になる阿弥陀如来像をおまつりしたことに始まります。

源平合戦に口丹波を経て一の谷へ向った源義経の軍勢に加わった那須野与市宗高はこのあたりで俄かに病にかかりました

たまたま法楽寺の阿弥陀如来に祈願をこめたところ忽ち平癒して一行の後を追いその後、屋島の合戦に際して如来の御加護によりみごとに扇の的を射落し弓矢の名を挙げたことは広く知られるところであります。

このように古くから由緒があり霊験あらたかな阿弥陀様でありますので延命長寿を請い老病を安らかに、屎尿の悩みも軽くを願う方は言うに及ばず学問や武術を志す年若い方々やその他色々の悩み願いを持たれる方々も真心こめて御祈願御信心なさればその願いは必ず開けるものと信じます。

合掌

壁に

一ノ谷合戦では与一の活躍は目立ちませんが(平家物語覚一本や吾妻鏡に与市の名は見当たらないような)その1年後の屋島合戦は有名ですね。

しかし病で動けなくなるとはどのあたりが悪かったのでしょう?どのくらいの期間で平癒?
後を追うということは義経たちは与一を置いて行った、もしくは地元の方に看病を頼んだ?

それと上記で気になったのが「屎尿の悩みも軽く」

参道入口にも「下の病封じ」とあり、兵庫県神戸市の那須与一宗高公御墓所にも参拝するとシモの世話にならないという言い伝えがあります。
(参考:兵庫おでかけプラス → https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201907/12550429

那須与市は排泄の悩みに効果がある??
下の病封じ

素敵なちょうちんもありました。
色合い

那須与市については詳細不明な部分が多く様々な伝説が残っています。
ここもその1つかもしれませんね。

住所
京都府亀岡市下矢田町東法楽寺
交通
JR「亀岡」駅から亀岡市コミュニティバス乗車約8分、「下矢田」バス停下車、南へ徒歩5分で参道入口

参拝について
境内自由
御堂は毎月「8」のつく日
参考公式サイト↓
https://www.nasunoyoichi.com/info
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2016/03/13
公式サイト
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