平重盛が土地一千石を寺領として寄進、七堂伽藍を建てて「小松寺:こまつじ:」とし、鎌倉下向中の平重衡が一泊したと伝わっています。
1173年ということは、数え年で36歳の重盛公ですね。
蝶紋が眩しいくらい素敵です♪
大日殿のインターホンで御朱印と、お参りが可能か確認したら「ゆっくりしていってください」など突然伺ったにも関わらず、気さくな方々で安心できました。
出入口にある由緒などは持ち帰り自由。
歴史に詳しい方がまとめられたそうです。
■奈良時代
聖武天皇の勅願によって天平年間(729~749)に行基菩薩が開いた。(張州府志)
※行基菩薩とは、『奈良時代の高僧、奈良の大仏造営にも寄与し、初めて大僧正という菩薩名(号)を天皇から授与された。』
山号「愛藤山(あいとうざん)とは……『諸国を歩き、多くの土木事業を起こし、寺を建て、人々を救済した行基菩薩は、この山の中腹にお堂をたてて、自作の観音像を安置していた。ある夜、観音さまが夢枕に立ち「山の上に藤の花が咲いているよ」と、お告げがあった。翌朝、裏山を見ると夢のお告げどおり、松の縁に藤の花が今を盛りと映えていた。それではと、この寺を「愛藤山」と呼ぶことになったという。』…
■平安時代
内大臣佐近衛大将 平重盛(重盛の邸宅を「小松邸」と言い、その名から小松殿・小松内府と称された)が味岡荘の時代に、その土地一千石を寺領として寄進し、承安3年(1173)にはこの地に立派な伽藍を建立し『小松寺』と名付けた。(東春日井郡史)
※味岡荘とは『範囲は明確ではない。本庄を味岡荘の中核とする15ケ村と考えてよい』
そこで気づいたのですが、「小松寺ー沿革と古文書ー」の資料の寺仏に平重盛像 木造座像と書かれていてビックリ!!
拝観可能か確認して案内していただきました。
大日殿の奥にあり、坐像の上には「平重盛公」と書かれていますが薄暗い中に安置されているため、案内されても文字が見えづらいくて私は気付きませんでした(^^;;
弟・平重衡も一泊していることなど、初めて知ることばかりでした!!
この日は堂内で法事があり、ちょうど失礼する頃に多数お見えでした。
お忙しい時にお邪魔し、しかも拝観無料なのが申し訳なく、お賽銭は多めにおいてきました。ありがとうございました。
各地にある平重盛が建立や再興した同じ名前の「小松寺」は「こまつでら」と読む場合もありますが、ここ小牧市の小松寺は「こまつじ」です。
↓平重盛=小松の由来についてはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/komatsudani-syourinji/
ちなみに町名も小松寺です。
山門をくぐって階段を上がると正面が本堂です。
坐像がある大日殿と山門の瓦が蝶紋です。
ここにも蝶紋が。
西側の大きな木が小松寺を見守っているようでした(^-^)
おまけ…
小牧市の可愛いマンホール♪