平家に仕え「悪七兵衛:あくしちびょうえ:」と呼ばれる藤原景清は平景清とも呼ばれ、屋島合戦などで活躍しています。
壇ノ浦合戦後、度々 源頼朝を狙い各地に伝説が残っており、ここは住宅街にひっそりと祠が建てられています。
解説板より
景清は平家の侍大将 忠清の次子で、腕力に優れていた。
平家没落後、縁あって熱田の地に隠れ住んだといわれる。
景清は平家の侍大将 忠清の次子で、腕力に優れていた。
平家没落後、縁あって熱田の地に隠れ住んだといわれる。
謡曲「景清」では「尾張の国 熱田にて遊女と相馴れ一人の子を設く」とうたわれている。
後年、景清は眼病を患い、失明したという伝説から、この景清社は、眼病に霊験があるとして信仰が篤い。
名古屋市教育委員会
宮崎県には源氏の世は見るに堪えられないと目をくり抜いた伝説も残る景清。
頼朝の産湯の井戸も伝わる頼朝にゆかりが深いこの熱田の地では隠れ住んだだけなんでしょうか。
住所
愛知県名古屋市熱田区神戸町
交通
名古屋市営地下鉄「伝馬町」駅から西へ徒歩10分
参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2018/03/18
備考
–
熱田区史跡散策路にも掲載されています
■奈良県の景清伝説の一部
雑司町 | 南都焼討で被害を免れ、後に平景清が隠れて頼朝を狙う 東大寺 転害門 >> |
平景清 |
高畑町 | 景清地蔵と呼ばれる地蔵を安置(非公開) 新薬師寺 >> |
平(藤原)景清 |