平家物語覚一本十巻に登場する「横笛」が出家し、入った尼寺です。
平清盛の娘・建礼門院に仕える雑仕女(ぞうしめ)で、いつのころか北面の武士・斎藤時頼と恋仲になりました。
時頼は元は平重盛に仕える武士でしたが、13歳のころに宮中の警護をする北面の武士となっていました。
横笛の身分が低いことを理由に時頼の父・斎藤左衛門大夫 以頼:さいとうさえもんのたいふ もちより:が2人の仲を認めず時頼は悩みます。
人間の寿命が長いといってもそのうち元気なのは20年ほど。
意に沿わない者と一緒になって何になろうか。しかし横笛を妻とすれば父に背くことになると思いつめた挙句、横笛には何も告げずに出家し、嵯峨の往生院で修業に励んでいました。
斎藤時頼19歳。滝口入道となりました。
そのことを知った横笛は物申そうと嵯峨の寺を訪ね歩き、読経の声から時頼がいる往生院を見つけました。
しかし、滝口入道は人を遣わしてここにはそのような人はいないと、横笛を追い返し、また横笛が来ては心が揺らぐと高野山の清浄心院に上り修行に励みました。
後から横笛も出家し尼寺である法華寺に入りました。
しかし、恋の病からか横笛はほどなくしてこの世を去ったとされています。
横笛と斎藤時頼の悲恋はいつのころかははっきりしていませんが、時頼が若いころから重盛に仕えていたことや一ノ谷合戦ののち、屋島に滞在していた平重盛の嫡男・維盛は高野山に上り滝口入道に対面していることなどから重盛と年齢は同じくらいではないかと勝手に思いを巡らしています。
京都の滝口寺には滝口入道と横笛の木像を安置しています。
嵯峨亀山町 | 出家した斎藤時頼が修行 滝口寺 >> |
滝口入道(斎藤時頼) |
撮影は山門外からの外観含めて許可が必要ということですので、すぐ近くの観光案内図を載せておきます。
茅葺屋根の光月亭は休憩所となっており、無料で飲み物が用意されています。
コーヒー、ほうじ茶、水など、スイッチ一つで紙コップで出てきます。
本堂には横笛が書いた手紙を用いて作った伝わる横笛像が。
仏像ポストカード8枚セット(350円)のうちの1枚が横笛像です。
また、平家打倒が未遂に終わった「鹿ヶ谷事件」の首謀者の1人・俊寛:しゅんかん:。
硫黄島に流刑となった後、俊寛の娘は法華寺に入り尼になったと平家物語覚一本に書かれています。
山門から南へ徒歩1分もせず「横笛地蔵菩薩堂」が見えてきます。
元はここに横笛堂があり、現在は法華寺の受付の後ろ側に移されています。
こちらの写真もネット掲載はあまりよろしくないとのことでしたので地図のみ貼っておきます。
法華寺へお参りされた際は横笛地蔵菩薩堂も合わせてお参りできますね。
時代は違いますが近くに平城宮跡歴史公園があり、西へ徒歩20分ほどで第一次大極殿です。
南門は只今復元工事中で、かなり長い年月がかかりそうです。
朱雀門ひろばには復元遣唐使船が置かれ、無料で乗船できます。
その近くにはお土産店や飲食店が2017年に新しく完成しました。
奈良の食材も楽しめますね。