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滝口寺<京都府京都市>

「たきぐちでら」
平重盛公に仕えていた武士・斎藤時頼。
悲恋により出家し、滝口入道となり当初はこの寺で修行していました。
滝口入道の悲しい恋の物語とは……

住所
京都府京都市右京区嵯峨亀山町10-4
交通
①嵐電「嵐山」駅から徒歩25分
②JR「嵯峨嵐山」駅から徒歩25分

参拝について
有料(300円)
参拝目安時間
30分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2007/04/15、2019/11/23
備考


滝口寺へは白拍子・祇王ゆかりの祇王寺の受付前を通り過ぎるとすぐに標識が立っています。
参拝しないのに写真だけ撮る人がいるようで貼紙が多数…
受付

拝観者は撮影可能

受付を通ってすぐに階段脇に由緒が。

解説板より
当初は、もと良鎮上人の開祖にかかる往生院の子院で、三宝寺と称し、浄土宗に属したが、明治維新の際、廃絶してしまった。

かつて三宝寺には滝口入道と横笛の悲恋物語が伝えられていたところから、滝口寺とよばれていた。近年、有志によって庵室が建てられ、清凉寺内の史跡となって甦った。

本堂には、三宝寺遺物である滝口入道と横笛の木像を安置している。
滝口入道は名を斎藤時頼といい、宮中の警衛に当たる滝口の武士であったが、建礼門院の雑仕女・横笛を見染めて恋に陥った。

しかし彼の父はその恋を許さず、そのため時頼はわずか19歳にして往生院に入り出家したのである。

横笛はこれを聞き往生院を訪ねるが、滝口入道は修業の妨げと会わず、そのため横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも奈良 法華寺に出家したともいう。

滝口入道はのち、高野山清浄院に入って高野聖となり、元暦元年(1184年)、紀伊勝浦での平維盛入水に立合っている。

京都市

維盛の入水のことも

階段を少し上ると滝口と横笛の歌問答旧跡の碑がありました。
滝口と横笛の歌問答旧跡

美しい紅葉に囲まれた階段を上がって行きます。
美しい紅葉

先ず見えてくるのがこの塔。
パンフレットによると平家供養塔だそうです。
何も由来が書かれていませんが、存在感は十分ありました。
十三重塔

そのそばで太陽に照らされた紅葉が眩しいくらいキレイです♪
キラキラ

平安時代は身分に左右され、身分が低かった横笛は時頼の父に反対され、横笛も後から出家し、奈良の尼寺・法華寺に入りました。
結ばれることのない時頼と横笛でしたが、本堂には2人の像が安置されより切なさを誘っています。
滝口寺本堂

参拝者もまばらで静か、飲食可能な本堂。
持ち込み可能

のんびりしていると野鳥が\(^^)/
コゲラかな?
キツツキ

本堂を後にして順路に従って歩いていると緑が眩しい竹林の中に白壁の建物が。
小松堂

パンフレットをよく見ると竹藪の中にあるのは小松堂と書かれており、この建物が小松堂で平重盛が祀られているそうです。
受付でいただける

パンフレットには写真もなく、建物にも小松堂と分かるものもなし(^^;
お賽銭が置いてありました

写真に撮って受付で確認したので間違いありませんが、うっかり素通りしてしまいそうです。
明治の時代の廃仏毀釈で一時は廃寺となりましたが、再建され瓦屋根になったそうです。
本堂ももっと大きかったとうかがいました。

清閑な場所でゆっくり時が流れているように感じました。
滝口と横笛の像を安置

境内

嵐山駅周辺は人でごった返しています。
滝口寺へは徒歩約25分。人の流れに合わせてゆっくり進んでいるうちに法然上人ゆかりの清涼寺が見えてきます。
この辺りまで来ると混雑が緩やかになります。
しかし、そう広くない道を車も通行しますので十分ご注意くださいね。
紅葉

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