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旗山の源義経 騎馬像<徳島県小松島市>

青

日本一の高さの騎馬像。そのモデルは源義経
ここは屋島合戦(現・香川県)の際に源義経が平家軍の裏をかき、海側ではなく陸地から攻めるために上陸したとされる地です。
(上陸したのは徳島県阿南市 説も有り)

在地武士・近藤六親家:こんどうろくちかいえ:(吾妻鏡では近藤七親家)の案内により途中、平家側の阿波民部重能の弟・桜庭能遠を攻めながら北上し、屋島から平家を追い落としました。

すごい

写真ではなかなか伝わりませんが、実物を見るとかなり迫力で人間とは思えない大きさでした!!

【寸法】
高さ6.7m、幅4.4m、奥行2.15m、重量5.5t
平成2~3年

後方の源氏の白旗がまた良いですね。
青空

この馬は源義経の愛馬・大夫黒:たゆうぐろ:??
馬

源義経公の像

後ろ姿
源氏

徳島県のホームページによると夜にはライトアップされているという、この地の義経への愛情。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/

確かにライトアップ設備完備。
照らす

白旗を立てたことから「旗山」と呼ばれるようになり、この騎馬像は山頂にあります。

遠くからでも像の頭と白旗が見えます。
山の上

拡大

麓、登山口。
ここから

上記写真右手の建物は公衆トイレ。そして笹竜胆。
かわや

ここから上ります。(鳥居のある方から上っても山頂でつながっています)
日本一

簡単説明はここ。
読める

『源平合戦の元暦2年(1185)2月18日勝浦尼子ヶ浦に上陸した源義経はこの山の頂上に源氏の白旗を翻し、士気を昂揚した。』
文字

その脇には碑も。かなり文字読みにくい状態になっています。
風化

義経阿讃を征く
新しい世の光●●1185年天の時来る。嵐の●●摂津渡辺の津から海路二十五里。義経軍●●中ノ湊の多奈に上陸

軍船勢合に集●● 
旗山に清浄と正々の白旗●●

渚にひかへし新居見城主近藤六親家
義経「ここは何処ぞ」親家「勝浦に●●」と応へ天神山の手勢を率いる●●陣を●●

堂々の陣 田口良遠の熊山●●破して 北山の東海寺から●●の●●越へして国府に至る

白●●導●●住吉の吉野川を渡河し金泉寺●●阿讃の国境、松明を焚いて越●●

東讃引田の要津、馬宿の海蔵院に仮宿 白鳥から朝霧ふかき田面峠 粛々●●隊に分かれる

熊野別当湛増率ゐる 水軍●●入る

志度  古高松  相引川  源氏が丘に  戦機熟せり

白旗と赤旗入り交ふ天下分け目の屋島合戦 三日にして 平家宗盛政権の本営落城

今 旗山 山頂 英雄義経の銅像 威光 四方に耀ふ

2005年2月20日

●は読めませんでしたが、義経が大阪の渡辺から嵐の中船で上陸、白旗をたてたこと、近藤六親家との出会い、田口良遠(田口良遠とは桜庭能遠とも)を攻め平家の本営を落としたことが読み取れます。

この騎馬像は一見の価値ありです。
小松島市を訪れるときにはオススメの一ヶ所です。
迫力満点

疫病のためここ数年は中止ですが「義経夢想祭」が毎年2月に開催されていました。
2019年のレポートはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yoshitsune-musou32/

義経夢想祭

近くにはふれあい市も。その名は「よしつね」
よしつね

ふれあい

住所
徳島県小松島市芝生町
交通
JR南小松島駅から南へ徒歩30分

探訪について
自由
探訪目安時間
20分~
お気に入り度
★★★★★
探訪日
2017/04/28、2018/07/14、2019/02/17、2019/04/27
公式ホームページ

駅から結構距離ありますが旗山の駐車場は不明です。
駅名

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