京で平清盛に気に入られ、有名になった妓王、妓女(祇王、祇女)きょうだいの生まれ故郷。
当時は祇王にあやかって「祇」の字を名前に使う人が増えたという凄さ。
水路を完成させた妓王の功績で水不足に苦しむこの地は潤い、今も大切に守られています。
②野洲駅から徒歩約60分
③JR野洲駅北口から近江鉄道木部線「江部」バス停下車、徒歩15分。※本数が少ないです。
④野洲駅南口サイクルセンターからレンタサイクル(私は利用したことがないため感想が書けません)
徒歩約7分のところには妓王寺(拝観は要予約)がある。
妓王寺についてはこちら → https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/giouji_shi/
妓王と妓女の姉妹は今から約800年前に橘次郎持長の娘としてこの地にうまれましたが、保元の乱で父をなくしたため母とともに京都に出て白拍子になり、平清盛に仕え、寵愛をうけました。
ある時、妓王は清盛公から「何か望むものはないか」と聞かれたので「故郷の人々が水不足で苦しんでおり、ぜひふるさとに水路を引いて下さい」とお願いしたところ、当時経済政策に力を入れていた点との合致し、早速清盛は野洲川から水路を引かせました。
このおかげで付近一帯(約三千反)の水不足は一気に解消し近江でも有数の米ところとなったのです。
ときに妓王21歳、妓女19歳でありました。
この水路は祇王井川と呼ばれ今なお水田をうるおしています。
また敷地内の碑には、この妓王物語が刻み込まれており、近くには村人が感謝して妓王寺が建てられています。
野洲市観光物産協会
県道32号線、中北交差点東側に立つ標識には「妓王屋敷跡」と表示されています。
「妓王の里みち」と可愛いイラストが入口に立つ公園のような一角。ここが屋敷跡です。
木に囲まれた中に立つ碑。
文字が刻まれているのですが、読み取るのは難しいです(^^;
これは?
県道32号線の向かい側に妓王寺への標識がありますが、横断歩道は東南約130mの場所。
妓王屋敷跡にしても妓王寺にしても車一台がやっと通れるくらいの道幅で駐車場なし……
歩行者にも車にも優しいとは思えない(;´・ω・)一体誰に向けての標識??
あ、自転車なら便利かも。
妓王寺の拝観には予約が必要ですので、ご注意くださいね。
妓王寺についてはこちら→https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/giouji_shi/
屋敷跡から南へ1~1.5kmの場所には「祇王」と付いた郵便局や小学校、幼稚園などがあります。
祇王の功績、人々の感謝が今に伝えられている証拠だと思いました。