都で評判が高くなった白拍子・祇王、祇女 姉妹。
姉の祇王が平清盛の大のお気に入りとなり毎月、米を百石と金銭など百貫が贈られ、2人の母・刀自にも豪華な家を清盛が与えたと平家物語では伝えています。
そんな裕福な暮らしも16歳の白拍子・仏御前が清盛に気に入られたことにより一変してしましました。
紅葉がとても美しいです(2019年11月23日撮影)
祇王寺(往生院)
往生院祇王寺と号する真言宗の寺である。
寺伝によればこの地は平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。
平家物語によれば祇王は、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母・刀自:とじ:、妹・祇女と共に出家し、当地に移り住んだ。
後には、仏御前も加わり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられている。
現在の本堂は、明治28年(1895)に再建されたもので、堂内には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛と祇王ら4人の尼僧像を安置している。
境内には、祇王姉妹等の墓と伝える宝筐印塔及び平清盛の供養塔などがある。
平家物語覚一本によると出家したのは祇王21歳、祇女19歳、刀自45歳。
仏御前がやってきたのは翌年。
紅葉の時は祇王たちがひっそりと暮らしていたと思うのが難しいほど大勢の人で賑わっていましたが、この供養塔はほとんどの人が素通り。
しっかりお参りできた反面、皆、祇王のことには興味ないのかと寂しい気持ちにもなりました。
祇王について「妓」の文字を使うのは滋賀県の妓王寺だけだと妓王寺に参拝した折、うかがいましたがこの石柱にも使われていますね。
もてはやされていた祇王もいずれは……と覚悟していたようですが、そんな夢のよう日々がほんの一瞬にして消え去り、一時は身投げも考えた祇王。
あっという間に仏御前に心変わりした平清盛の供養塔が横に並んでいるとは…祇王の心境は?
佛(仏)の名も見えます。祇王から自分への心変わりを目の当たりにした仏御前もそのうち同じような目に遭うと悟り、祇王たちのもとへやってきて一緒に念仏を唱えていたのでしょう。
祇王、祇女、母・刀自、仏御前、そして平清盛の木造を安置する草庵には良縁、悪縁の絵馬も。
京都でガイドをされている京都旅屋さん(https://kyoto-tabiya.com/)によると紅葉は午前中からお昼ごろまでがより美しく見えるそうです。
この写真は2019年11月23日の12時前~12時半頃に撮影しました。
偶然良い時間帯に訪れていたようです。
②JR「嵯峨嵐山」駅から北へ徒歩25分
※明治時代に一旦、廃寺となってしまった祇王寺の墓と仏像は大覚寺により保管されていたそうです。
それで共通券が用意されているのですね。
隣接した滝口寺。こちらにも平家物語に描かれる悲恋が残されています。
祇王寺の隣なのに参拝者がまばらでご自身のペースでみて回ることができます。
こちらの紅葉もオススメです。
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