一ノ谷合戦で討取られた平通盛とその妻・小宰相(こざいしょう)の比翼塚や中興した住蓮(じゅうれん)の供養等が境内の墓地内に建てられています。
※一般の方の墓地で、本堂の右側を通り突き当りを右手に進みます。
願成寺はその昔、烏原(からすばら)村の住蓮坂の下、現在の烏原貯水池のほとりに建てられ、上野山(じょうやさん)と呼ばれていました。
天平年間(729~749)に、諸国を行脚していた僧、行基により、(中略)人々は観音寺と呼ぶようになりました。
しかし、やがて寺は衰退の道を辿ることになります。
時は平家の栄華を見る頃、住蓮坊(じゅうれんぼう)という法然上人の弟子のひとりがこの地を訪れ、佛を安置されます。
それにより見事に復興された寺は「願成寺」と称され、平清盛が京都五山に因んで、福原五山の二番に位置づけます。
そして源平の興亡の歴史を見つめ、時代を重ねること九百余年、寛永年間には火災による焼失にも遭いながら、明治37年、現在の兵庫区松本通へと移転します。
太平洋戦争での神戸大空襲を生き残り、また1995年の阪神・淡路大震災の被害も乗り越えて、二十一世紀の今、願成寺は今日も歩み続けています。
住蓮坊(パンフレットより)
願成寺を中興した住蓮坊は平安後期から鎌倉時代前期にかけての浄土宗の僧でした。
源頼光の長子頼親の末裔 實遍の子で、興福寺の衆徒でした。
法然上人の弟子となり建永元年(1206)12月、同門の安楽と共に鹿ヶ谷にて念佛会を行いました。この時、後鳥羽上皇の官女であった松虫、鈴虫も参会し、落髪し尼になったため上皇の怒りにふれ、承元元年(1207)同門の安楽と共に、近江蒲生郡馬淵にて処刑されました。
住蓮39際のことです。
住蓮塔は彼の弟子たちが持ち帰ったとされる首を祀り建てられました。
平通盛は一ノ谷合戦の時、湊川付近で討取られ、訃報を聞いた妻の小宰相は屋島へ向かう船の上から身投げをします。
↓小宰相の身投げについてはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/otuboneduka/#otuboneduka01
ここ願成寺に祀られているのは小宰相の乳母の呉葉(くれは)が、願成寺を中興した住蓮の妹もしくは義妹だからです。
※兵庫区役所が昭和50年に発行した「由緒あるまち兵庫 町名・史跡・民話をたずねて」では呉葉は義妹と記され、呉葉の五輪塔の写真も掲載されています。
※杜山悠 著の昭和47年発行の「神戸アートシリーズ 平家物語と神戸」には妹と記載され、漢字は呉+『月』に『皮』で読みは同じ「くれは」となっています。
比翼塚の隣に住蓮の供養塔があり、その左側が少し空いています。
「由緒あるまち兵庫 町名・史跡・民話をたずねて」にはこの空いた場所に呉葉の供養塔建てられている写真が載っています。
いつの写真かは不明ですが、もしかすると震災の影響を受けたのかもしれません。
供養塔の前にある碑。
平越前之位通盛正室●子供諸々霊
小宰相殿成人侍女諸々霊
↓別の面↓
文字が分かりにくいのですが
小宰相水子霊
平桂盛 通衡 菊王丸
と書かれているようです。(字が違っていたらすみません)
小宰相はお腹に通盛の子供を宿したまま身投げしたので水子として供養されているのでしょう。生まれてくることもできなかった生命……
平家物語によると一ノ谷合戦の前夜、小宰相が妊娠していることを告げると通盛は30歳にして初めて子供ができたと大層喜んでいたのに……
菊王丸は通盛に仕えていた童で、通盛亡きあとは通盛の弟の教経に仕え、屋島合戦で討取られています。
その他の名前の人々については不明です。
↓また別の面↓
二十九代
昭和60年1月吉日 平家八百年記念
納主 平通盛小宰相局の娘 日吉姫因縁加藤晴美
日吉姫は源範頼の側室となり浄円寺の開基
ここには通盛と小宰相の娘「日吉姫」と書かれています!!
歴史は複数の説があるものなので、色々な説を比較するのが歴史を考える醍醐味だとおもいます。
「浄円寺」は福井県越前市にあるお寺のようです。
また、案内パンフレットによると小宰相の念持仏を乳母に大切にするように頼んだそうです。
念持仏についてはお寺の方に拝観をお願いすると見せていただけました。
観光寺院ではありませんが、快く案内してくださしましてありがとうございました。
2022年3月26日にお参りさせていただいた時はアニメ平家物語のポスターも貼ってありました。
通盛や小宰相はドラマは漫画、アニメで登場することはほとんどありませんが、個人的に通盛も小宰相も好きなので知名度があがることを願います。
(参拝口は西側)
②神戸市営地下鉄「湊川公園」駅東へ徒歩8分
③神戸市バス湊川公園西口バス停下車東へ徒歩6分(三宮駅の他、平野商店街や氷室神社方面から乗車可)
④「新開地」駅から北西へ徒歩10分
町中で行きやすい場所にあり、西へ約10分歩くと平業盛の塚がある「善光寺」もあります。
小宰相と通盛は淡路島や鳴門にも供養塔や墓が建てられています。
大切にされているのが嬉しいですね。
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