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氷室神社<兵庫県神戸市>

一ノ谷合戦時、平家一の猛将・平教経が陣を置き、平通盛と小宰相(こざいしょう)が最後となる言葉を交わした場所です。
(小宰相は平家物語覚一本では通盛の正妻ですが、側室の説も)
また、福原京では平教盛の邸があったと云われています。

神戸の氷室神社

平家と氷室神社の関係

清盛七辨天の一社でもある氷室神社には恋愛辨天様が祀られています。
清盛七辨天

住所
兵庫県神戸市兵庫区氷室町2丁目15-1
交通
①阪神および阪急「神戸三宮」駅、JR「三ノ宮」駅から市バス約15分、「夢野3丁目」バス停より徒歩10分
②神戸市営地下鉄「湊川公園」駅徒歩30分

参拝について
無料
参拝目安時間
15分〜
お気に入り度
★★★★★
参拝日
多数
備考
由緒・由来より
創立年月日は詳らかてはないが、神社の鎮座する夢野の地は元来、禁野といい、昔、高貴な方の墓所、皇室の御料地としての殺生禁断の地でした。
仲哀天皇の時代(西暦200年頃)に、香坂皇子、忍熊皇子は、ご自分が位に継ぐことをお考えになり、この地で狩りを行なって占いました。
しかし、一日中何も捕まえる事が出来ず、香坂皇子は猪に襲われて亡くなってしまいました。
そしてこの地に墳墓が築かれました。
仁徳天皇の時代(西暦374年)に、兄の額田大中彦皇子がこの地に狩りに来られた時に氷室があるのを見付けられ、その氷室に納められた氷を、毎年、天皇に献上される様になりました。
平安時代、平清盛が広島厳島神社より市杵島比売命を奉斎しました。
神社付近には、清盛の弟の教盛の別邸が在り、福原遷都時には、後白河法皇が幽閉されていました。
源平舎戦時、教盛の子 教経が付近を陣所にしていました。
合戦前、平通盛と妻 小宰相がこの地で今生の名残を惜しんだ。(平家物語)

平家との関わり

平家物語覚一本によると一ノ谷合戦の前夜、通盛は小宰相を呼び明日の戦いで討たれるであろうと予言めいたことを口にしていたそうです。

南都焼討や俱利伽羅峠合戦、六箇度戦など勝った戦もあれば敗れた時もあったけど、生きて帰ってきた通盛。
きっと小宰相も最後となるとは思わず(思いたくもないはず)、恐らく通盛を勇気づけるためにお腹に子供がいることをこの時初めて通盛に告げました。
通盛は30にして初めて子供が出来たと大層喜んでいたそうです。
そんな話をしているところに弟の教経に、ここは手強い敵がくる方面だと諌められ小宰相を帰してしまい、これが最後の別れとなりました。

馴れ初めから小宰相が身投げをするところまでの話の境内に展示されています。
平通盛・小宰相

↓通盛と小宰相の出会いは法勝寺のページも合わせてどうぞ↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/hossyouji-saifukuji/

現在では縁結びとして有名になっています。

氷室神社の愛の手紙
れんあいべんてん様へ
手紙の書き方
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御朱印に蝶紋が

時期により御朱印に家紋を押印していただけます。源平関係は蝶紋が2種類♪
※神社の方に掲載可能と確認済です。
御朱印に蝶紋が

2、3月は浮線蝶、5月は菊水紋、6月2日~11月29日は揚羽蝶。
どれも気になりますね。

境内

境内案内図

西暦374年に発見された氷室。長~い歴史がありますね。
本殿の奥に氷室が

夏場は蚊が多いです

主祭神(大国主大神)のお使いの白うさぎが可愛い♪
だいこく様

見守ってくれる白うさぎ

2017年12月末に訪れた時にはトイレが新設され、手水鉢には網がかかっていました。
お参りしやすいようにどんどん変わっている様子です。
参拝者用お手洗い

手水鉢

中には金魚の置物が
置物の魚

様々な歴史が刻まれた氷室神社。周辺には源平史蹟が多数残されていて、清盛公が通ったかもしれない湊山温泉まで徒歩約30分で行ける距離です。
参道鳥居

源平ゆかりの地ののぼり

解説

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