一ノ谷合戦で討取られた平敦盛の供養塔(胴塚)。一説には一ノ谷合戦で命を落とした人々を集めて供養した「集め塚」がいつの間にか「敦盛塚」と呼ばれるようになったとも云われています。
ここ数年は戒名「空顔憐清:くうがんれんせい:」と書かれた板塔婆が添えられるようになりました。
塚の後ろに小さな五輪塔もありますが、詳細不明です。
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪は幅126cm、高さ98.5cm、水輪は最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上面に径30cm、深さ20cmの枘穴(ほぞあな))、風・空輪は一石彫成で、風輪の径73cm、高さ56cm、空輪の最大径69cm、高さ79.2cm。
各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の梵字を薬研彫り(やけんぼり)に配している。紀年銘はなく、梵字が大きいことや水輪や火輪の様式にやや古調がみられるが、風・空輪は明らかに近世塔の先駆的様式を示していることから、室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、”敦盛塚”と呼ばれるようになった。
このほか、鎌倉幕府の執権、北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの諸説がある。
昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のために発掘調査を行ったところ、下半部が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る基壇遺構があることが分かった。
このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出するように積み直した。
平成11年3月
桜の季節の敦盛塚の動画(約15秒)
毎年3月の第一土曜日に「敦盛祭」が開催されています。
どなたでも申込みなしで参加可能です。
開催が近づくと主催の須磨寺さんのホームページの最新情報(http://www.sumadera.or.jp/)に日程がアップされます。
2020年の様子→レポート
※2020年は敦盛忌と敦盛祭のレポート。敦盛祭はウィルスの影響により読経のみ
2019年の様子→レポート
2018年の様子→レポート
2017年の様子→レポート
2016年の様子→レポート(Facebookページ)
2015年の様子→レポート(Facebookページ)
敦盛祭は「敦盛塚に集う会」→「敦盛忌」→「敦盛祭」と名前を変え続いています。
2013年に10年目を迎え、それを機に主催が須磨寺さんに変わりました。
それまでは神戸の有馬で「全寿庵ごんそば」を経営されている方が主催でした。
環境の変化があっても敦盛塚はずっと大切にされています。
3月下旬~4月上旬に須磨寺や須磨浦公園駅一帯で山陽電車さん主催の「敦盛桜」が開催され、年々賑わいを見せています。
一ノ谷合戦ではかなく散った敦盛卿にちなんで、須磨浦一帯の桜を「敦盛桜」と呼んでいるそうです。
確か2012年3月から始まり、この時期だけ特設サイトで情報が公開されます。
http://atsumorizakura.com/
ライトアップもあり、昼も夜も見事な桜を愛でることが出来、限定商品も販売されます!
2016年の敦盛桜の様子は→ここをクリック←(Facebookページ)
敦盛塚前にも桜があるので夜にも様子を見に行ったことがありますが、真っ暗でした。
ここはライトアップされないようです^^;
敦盛塚に隣接する敦盛蕎麦屋さん。
残念なことに2015年末から休業され、2019年には閉店となりました…
敦盛蕎麦、敦盛ご飯などのメニューの他、店内には敦盛塚や一ノ谷合戦の資料などが展示されています。
地元の方との交流の場でもあり、非常に残念な思いでいっぱいです。
※追記※
後継者がみつかり、2020年3月ころから営業再開されました。
↓下記ページの真ん中くらいに蕎麦の写真を載せました↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/atsumoriki-atsumorisai835/