現在のぺージ
Home > 小宰相 > お局塚<兵庫県南あわじ市>

お局塚<兵庫県南あわじ市>

一ノ谷合戦で討取られた平通盛の妻・小宰相(こざいしょう)は悲しみのあまり通盛の後を追ってお腹の子とともに入水。
小宰相を祀る塚は「お局塚(おつぼねづか)」と呼ばれています。
お局塚

蝶紋

住所
兵庫県南あわじ市
交通
車でないと難しい(小型車がおすすめ)
伊加利小前交差点を北へ約1.6km、左手の細い道へ(標識有り)入り、道なりに約1.3km

参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2018/07/16
備考
解説板より
お局とは平家物語にいう小宰相の局である。彼女は頭刑部卿 藤原範方の娘で宮廷に仕え禁中は第一の美人という評判をとった。
平清盛の甥、通盛に見そめられ三年ごしの純愛のローマンスの末に二人は結ばれたが、間もなく平家没落の悲運にあれねばならなかった。
寿永3年(1184年)2月7日一ノ谷戦いに平家の大将軍三位通盛卿も湊川付近で討死をした。
屋島に落ちて行く平家の軍船の中でその悲報をうけた彼女は悲しみにたえず、13日の夜半、鳴門に近い春寒の瀬戸内に身投げして、亡き夫を慕い19歳の花の生命を絶った。
一旦、船にひきあげられた麗人の遺体は従者達によって海底深くに水葬されたという。

謡曲「通盛」は通盛と小宰相の局の鎮魂の物語である。武将として修羅道の苦しみに悩む通盛の亡霊と「夫の一つ蓮に迎えさせ給え」と佛に祈って投身した彼女の亡霊は互いに死場所を異にして浮かばれなかった。
しかし鳴門の磯にきた旅僧の読誦する妙法蓮華経の功徳んいよって菩提をえたという物語である。

ここ多摩山一帯は古来、平家落人が隠れ住んだ所と伝えられる。
造立年代は明らかでないが「局が多摩」とよぶ所に七つの古墳があると文政8年(1825年)の「淡路草」にも誌されている。
それは平家一門の局ら七人自決の墓と伝えて、平家七塚とよばれてきた。
その中心をなす塚は約5.5米の舟型に石積みされている。

明治初期、伊加利村別所氏によって、主従七人の幽魂を供養するために、七つの石積みの塚の上に、それぞれ一石五輪塔が安置された。
大正13年地元の有志が七塚保存会を結成し、玉垣を造営し、掃苔会を催した。

昭和37年有志によって薄命の歌人小宰相の局の念願どおり平通盛の霊を招き迎える供養塔が建立された。
この石塔は古い舟型の積石塚の上に帆をあげた形に造られている。これは法華経によって菩提をえたという相思相愛の二人と従者六人の霊を供養したものである。

昭和51年12月
お局塚保存会

お局塚の由来

小宰相の身投げについて

父は頭の刑部卿 憲方(とうのぎょうぶきょう のりかた)で、宮中一の美女と評判だった小宰相に3年間手紙を送り続けて射止めたのは平通盛。
↓小宰相と通盛との馴れ初めは下記をクリックしてくださいね↓
法勝寺の花見の時

通盛は平清盛の甥で、南都焼討や俱利伽羅峠合戦、六箇度の戦いなどに出陣しています。
↓略系図はクリックで拡大します↓
通盛、小宰相の略系図

一ノ谷合戦では後白河法皇から和議の使者を送ると停戦命令があり、また源氏軍の奇襲に遭い、多くの平家一門が討取られました。
その中の一人が通盛です……

屋島に向かう平家一門の船に乗っていた小宰相に通盛の最期の様子を伝えたのが、通盛に仕えていた君太滝口時員(くんだたきぐちときかず)。
すぐには信じられず、通盛の帰りを待っていた小宰相も一ノ谷合戦から6日後の2月13日未明(14日)、乳母の必死の説得も空しくうとうとした隙にお腹の子とともに海に身投げ。
すぐに引き上げられたものの時すでに遅し、通盛の鎧を着せ、再び海に沈められました。
平家物語によると小宰相は知らせを聞いてから起き上がりもせず4~5日湯水も飲まずにいたそうです。

乳母も小宰相の後を追う気でしたが、周りの引き留められ僧になっていた通盛の弟・中納言律師 快忠(ちゅうかい)の元で出家し、小宰相達の後世を弔ったと云われています。

通盛、小宰相の略系図

この乳母の名は呉葉(くれは)と伝わり、呉葉の兄(もしくは義兄)が中興した兵庫県神戸市の願成寺(がんじょうじ)に、平通盛、小宰相の比翼塚とともに供養塔が建てられていたそうです。
↓願成寺についてはこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/ganjyouji/

お局塚も願成寺も、小宰相と通盛が同じ場所で供養されていることが、小宰相が願った「同じ蓮(はちす)の上」を叶えているように思えました。
小宰相、通盛、従者六人

お局塚へ

伊加利小前交差点に案内標識があります。そこから北へ約1.6km進むと左手に案内標識があります。
細い道ですがそのまま上がっていきます。
お局塚への行き方

全体の場所は縮尺を変えてご確認ください。

遠くからみると木々の間に石塔が見えます。
遠景

休憩所?があり、写真右奥がお局塚です。
椅子も用意されている

お局塚

その後ろには祠?もありました。
これは?

帰りの車中から撮った道路。車の行き違いは難しそう…
道幅は広くない

毎年行われているお局塚の供養祭。
↓Facebookページで動画が公開されています。いつか参列したいと思います。
お局塚(小宰相局墓所)Facebookページ

↓鳴門にある「小宰相局の墓」はこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/kozaisyounohaka/

Share
Top