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池月公園<徳島県美馬市>

憩いの場

池月は源頼朝が佐々木高綱に与えた名馬で、寿永3(1184)年には宇治川合戦でその活躍が平家物語に描かれています。
池月の表記は私が知っているだけで「池月」「生食」「生月」「生喰」「生唼」があり、生誕地についても複数の説がある中の1つがここ、美馬市です。

住所
徳島県美馬市美馬町
交通
JR貞光駅もしくはJR阿波半田駅から徒歩40分

探訪について
自由
探訪目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★☆
探訪日
2018/07/15
備考
解説板より
名馬”池月”は、美馬の里 沼田の所在の飼い馬を母に、川向かいの半田山の暴れ馬を父として、ここ沼田ジマに生まれました。
子馬は、母馬ゆずりのやさしさを奥に秘めながらも、父馬に似て気性の激しさも加わり、なかなかの荒馬に育っていきました。
父馬から吉野川の急流での泳ぎも教わり一段とたくましくなりました。
そんなある日、いつものように母馬といっしょに沼田の大池のほとりで遊んでいるうちに母馬があやまって池の深みに落ちこみ、おぼれ死んでしまいました。

月の美しい夜のことです。
母恋しさに堤に立った子馬は、折からの名月が皓々としてその月影を映しだした池の面に母馬の姿を見つけました。
月の光で映しだされた自分の姿とも知らずに、
「お母さーん…!」
子馬は池に飛び込みました。
「ドボーン…!」
大きな水音とともに母の姿は波紋となって、はかなく消えてしまいました。
堤に上がった子馬が再び池に目をやると、ありありと母の姿が見えるではありませんか。
「ドボーン…!」
また、飛びこみました。また、消えました。

母を慕って、月夜の池に何回も何回も飛びこむこの子馬を里人たちは、いつしか”池月”と呼ぶようになりました。
後年、宇治川の先陣争いに勝利できたのは、吉野川の急流や沼田の大地で見つけた水練の術のたまものであったのかもしれません。

『名馬 池月の母馬の墓』には、今もその墓前に四季おりおりの花が供えられています。
ほんのりほのぼのとした美馬の里の物語です。
由来

阿波の国、美馬郡というところは大化の改新によって郡が置かれて以来、名馬を数多く産出したことから「美馬」と呼ばれていました。
平安時代の末期、源氏の総大将「源頼朝」の愛馬となり、後年「宇治川の戦い」において、佐々木四郎高綱が騎乗し、先陣争いに勝利した名馬「池月」は、美馬町に生まれ育ったと伝えられています。
宇治川合戦で活躍したこと

池月公園

池月について

池月の生誕地は日本全国、北から南まで伝承があり、それだけ名の知られた馬だったことがうかがえます!

源頼朝との出会いの地
東京の洗足池付近と云われ、銅像が建てられています。

南千束2丁目 源頼朝と池月が出会った
池月の銅像と千束八幡神社
>>
名馬・池月

頼朝から佐々木高綱へ
頼朝が佐々木高綱に池月を与え、梶原景季の磨墨と馬くらべをした話は静岡にある源太坂付近に伝わっています。

静岡県富士市今泉 梶原景季が生食は佐々木高綱のものになったと知った場所
源太坂 >>
梶原景季

宇治川合戦
佐々木高綱を乗せ、先陣を切った京都の宇治川には目立つ先陣争いの碑とその傍らには絵付きの解説。
宇治川の改修工事はもう終わっていると思いますが、まだ見に行けていないため、古い写真です。
宇治川先陣の碑
生食と磨墨

母馬の墓

植物の成長期だったため、左側の石碑は隠れていますが『池月の母馬の墓』と刻まれています。
母馬

母馬の墓があるのはかなり珍しいと思います!
解説に飼馬だったと書かれていますので、きっと名前が付けられていたと思いますが、そこまでは伝わっていないのでしょう。

花が供えられているのは大事にされている証拠ですね。
池月の母の墓

歌碑

ところで公園の向こうの山が一部山肌が見えている箇所がありました。
これは一体…?
意図的?

後ろの山に?

自然豊かな美馬市

池月が泳ぎの練習をした吉野川。
後ろに見える山々は平安時代からさほど変わらない風景でしょうか?
吉野川

一頭の馬が市名の由来にもなる池月、スゴイと思いませんか(^^)?
和傘

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