通常非公開の「景清地蔵」。
壇ノ浦合戦も生き延び、平家再興をかけて頼朝暗殺など、各地で様々伝説を残した平景清(藤原景清)の名を持つ地蔵が、2018年夏の「ちょこっと関西歴史たび 奈良高畑(たかばたけ)」の企画で公開。
②近鉄奈良駅より徒歩35分
景清地蔵が祀られている香薬師堂。
ちょこっと関西歴史たびの企画(https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/05/page_12438.html/)で見てきました!
この企画では景清地蔵の中から発見された『おたま地蔵』が主役。
木の衣服を着せて裸体もリアルに作られていることは異例だということです。
簡単に書くと、
①頭部
②身体
③手
④衣服(前)
⑤衣服(後ろ)
⑥足先
で構成されていて、これらを組み合わせて一体の地蔵になっていたことが、修復時に発見されたそうです。
最初、景清地蔵の中から見つかったという文字を見、写真にも地蔵がニ体あり、地蔵の中にもう一体隠されていたのかと思っていましたが全く違いました!
↓最初の勝手なイメージ
現物と復元したものを組み合わせ、それぞれ独立させて2体に分けたものを拝観しました。
すごく不思議な感じがしましたが、これはぜひ実物をご覧ください。
配布された資料によるとこの地蔵は1238~1239年に尊遍(そんぺん)が師・興福寺別当の実尊(じっそん)の弔いのために作ったもので、景清説が覆されたとありました……
1238年といえば壇ノ浦合戦から53年。
それまでは景清の母が景清のために祈っていたなどの説があるため「景清地蔵」と呼ばれていましたがそれが違っていたとは(°_°)
個人的な見解ですが、火のないところになんとやら、景清ゆかりの地蔵もどこかに存在していて何十年、何百年も経つうちに、言い伝え間違いなどでこの地蔵がいつの間にか景清ゆかりの地蔵と云われるようになったのでは??と推測してしまいました。
これからも「景清ゆかりの地蔵と信じられていた」という名目で名前は変えずに「景清って誰?!」と知らない方にも興味を持っていただければいいなと思いました。
新薬師寺本堂には十二神将像が祀られています。
こちらは通年拝観可能です。
ちょこっと関西歴史たびの企画ではステンドグラスの光射し込む状態を拝観しました。
本堂内は撮影禁止ですが、ステンドグラスのみ可能でした。
大仏開眼供養に訪れた源頼朝を、景清がこの門に隠れて暗殺の機会を狙っていたことから別名「景清門」とも呼ばれています。
南都焼討の時、大仏は炎に包まれましたが転害門は被害を免れました。
景清の伝説は全国各地に残されています。
また順次紹介したいと思います。