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【レポート】源範頼追善供養 三河忌2024年(薬王寺)<神奈川県横浜市>

追善供養

源範頼の最後ははっきりしないようですが、薬王寺では8月24日が命日とされています。
薬王寺門前

範頼は源義朝の六男として生まれました。
母は遊女と云われています。

一ノ谷合戦や壇ノ浦合戦の前には、いとこの木曽義仲軍と戦い勝利しています。
建久4(1193)年に曽我兄弟の仇討ち事件が起こり、兄の源頼朝が討たれたという誤報が届き、動揺する政子に自分がいるから大丈夫というようなことを言ったことが頼朝が気に入らない者を消す口実(謀反)になってしまいました。

ここには範頼のご位牌と非公開の範頼の念持仏が安置されていて、法要は以前は関係者のみで行い檀家さんもご存知なかったそうです。

しかし、今の御住職が地域の方に知ってもらうことと、範頼のために人が集まることが範頼の供養になるということで、一般も参列可能にして今年で3回目だそうです。
門前にも大きく「三河忌」と書かれています。

源範頼が三河守となったのは寿永3(1184)年6月。
(平家目線だと三河守は平清盛公の七男・平知度:とものり:なので複雑な気分。知度は範頼より前の三河守です)
2024年の三河忌は14時から

参列者は最初4名でしたが途中から来られた方もいらっしゃいました。

範頼の説明も含めて、法要は約40分。お焼香も。
参列者の小学校低学年のお子さんも真剣にお経を聴いていて感動しました。

本堂内は撮影不可ですがご位牌は法要後に間近で拝ませていただきました。
600年ほど前に作られたご位牌で、台は江戸時代に修復したものだそうです。
戒名の「太寧寺殿道悟大禅定門」は800回忌記念に作られた境内の供養塔にも刻まれています。
供養塔

戒名

元は太寧寺さんに安置されていたのを、移転の時に理由は不明ですがご位牌と念持仏は薬王寺さんが引き継ぐことになったそうです。
(太寧寺は今回お参り出来なかったので今後の目標です)

御住職が大変気配りされていて本堂は扇風機のみで暑いからと冷えピタが配布され、法要後はお供えの梨とゼリーを皆に分けてくださり、境内には切ったスイカも用意してくださっていました。

至れり尽くせり✨ありがとうございます!!
立派な梨

過去には境内で盆踊りを開催されていたこともあったそうで、人が集まる寺であってほしいとおっしゃっていました。

三河忌、広まりますように。
薬王寺さんの公式ホームページ内にInstagram、Facebookページのリンクもあります。
https://yakuouji.jp/

昨年、SNSで三河忌をお知らせされていた方もお参りに来られていました。この方のおかげで私は三河忌の存在を知り、今年参列出来ました。ありがとうございました!!

個人的には一ノ谷合戦で平知盛軍は東城戸(生田森)範頼軍と戦っているので、範頼から見た知盛卿はどうだったんだろうなど、色々考えてしまいました。
ちなみに知盛卿は範頼より2歳若い仁平2(1152)年生まれです←ただ知盛卿のことを言いたいだけの情報。

全然関係ありませんが法要後、山門を出るとトビ?が高い所にいたのでパシャリ。
トンビかな

また、SNSで教えていただいたのですが、埼玉県吉見町制施行50周年記念事業作られた範頼の漫画。
無料でネットで読めるのでリンクを貼っておきます↓
https://www.bgf.or.jp/bgmanga/?s=%E5%90%89%E8%A6%8B

薬王寺さんは金沢文庫駅から東へ徒歩約20分です。

京急電鉄

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