寿永3(1184)1月20日が命日の木曽義仲。
前年、寿永2(1183)年7月に上洛しましたが、京の風習が分からず嫌われ後白河法皇とも対立。源頼朝が弟の範頼、義経を出陣させ木曽義仲軍と粟津で合戦となり討ち取られました。
義仲の墓がある滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)では主催別による法要が行われています。
毎年1月20日→主催は義仲・巴ら勇士讃える会
毎年第三土曜日→主催は義仲寺
2024年は1月20日が第三土曜日。同日に主催を変えて午前と午後で841回忌となる義仲忌が二度行われました。
※讃える会については下記をご覧ください↓
https://www.town-kiso.com/manabu/rekishi/100211/101836/
一日を通して雨でしたが多くの方が参列されていました。
朝日堂で読経とお焼香の後は境内のお墓へ。
皆で線香をあげました。
木曽踊りは木曽義仲の供養のための踊りだそうです。
ありがたいことに温かいお茶の振る舞いも。
ご挨拶の後は義仲の首塚がある京都の法観寺へ移動。かつかつの日程です。ここは八坂の塔が有名です。
法要が始まると門は閉じられます。
八坂の塔の下で義仲の首塚方向を向いて法要。お焼香もあります。
八坂の塔の東側に首塚があります。
この首塚は以前は近くの民家の前にあったがその民家がなくなり、行き場をなくした首塚について近所の方と話し合った結果、法観寺で引き取ることになったそうです。
首塚があった場所は現在、駐車場になっていると参列者の方に教えていただきました。
首塚手前の細い松は巴塚の松がある富山県南砺市から贈られて20年近くになるが、日当たりの関係かヒョロヒョロだと法要後にお話しされていました。
確かに細い幹です。
ここでも木曽踊り。義仲寺では関係者のみでしたが、法観寺は広さがあるので希望者も一緒に踊れます。
最初に踊り方を練習して開始。
ご挨拶があって讃える会主催の義仲忌はここまでです。
2019年に初参列した時は法観寺に移動することを知らず、電車移動したが間に合わずで法観寺に到着した時には門は閉ざされていて外から何となくみていました。
今年ようやく全行程を見れました!!
■義仲寺
■法観寺
義仲忌に再び戻ってきました。
まず木曽八幡社で神事があるのですが、到着した時は後半で写真なし💦
そして朝日堂内で読経とお焼香です。
続いて本来なら舞踊の奉納があるのですが、体調不良ということで今年はありませんでした。
木曽義仲についてのお話しがあり終了。今年は40分ほどでした。
※義仲寺主催の義仲忌は2023年のレポートの方がしっかり書いています↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yoshinakaki2023/
その後は参列者の方がネットで見つけた情報を参考に「今井兼平の血ぞめのススキ」を数人で見に行きました。
碑など何もなく、ネット情報も推定地ですがその当時を想像(妄想?)しながらの楽しい探訪。
今回探索したのはこの池の近くです。
葉に点があるのを見付け、これかも?と一同で湧きました!!
この植物がススキなのか、オギなのか私は区別がつかないので間違っているかもですが。
周辺で赤っぽい葉もありました。血の影響?かもと皆で話していました。
今回の探索場所はこの辺りですが、詳しくご存知の方はいらっしゃいませんか?
最後に義仲忌でお会いした多数の皆様、本当にありがとうございました!!
平家が好きな私にとっては義仲は敵ですが、参列者の方々は良い方ばかりです。
また来年も参列します。