源義経と恋仲になった白拍子・静御前。
平家滅亡後、義経が兄の頼朝から追われる身となってからも静御前は義経の側を離れることはありませんでした。
しかし吉野山(奈良県)で離ればなれとなり、静御前は捕らえられ頼朝のいる鎌倉に送られました。
静御前は鎌倉で義経の子を出産しましたが男児だったため命を奪われました。
その後、京へ戻ったとされますが静御前の墓や終焉の地は各地に存在しています。
その1箇所が母・礒野禅尼(礒野禅師)の故郷とされる現・奈良県大和高田市で心身ともに疲弊した静は母の故郷に戻り、笠神の杜の明神さんに病気平癒を祈りました。
※礒野禅師の故郷は他の地の説もあります。
※笠神の杜の明神さんはここから北東へ徒歩10分ほどの石園座多久蟲玉神社:いそのにますたくむしたまじんじゃ:に移されています。
片塩町 | 静御前ゆかりの明神さんが移されている 石園座多久蟲玉神社 >> |
静 |
春日町会館に隣接する公園(下記写真の左側)
その出入口に静御前めぐりの碑があり、ここから南へ約60m付近が笠神の杜跡とされていますが、現在は住宅街で当時を偲ぶものはないようです。
静御前の母・礒野禅尼の礒野はこの付近の地名です。
静御前や礒野禅尼についても様々な説がありますが、ここもその説の1つとして訪れてみてはいかがでしょうか。
住所
奈良県大和高田市春日町1丁目
交通
近鉄「高田市」駅から南西へ徒歩8分
参拝について
自由
参拝目安時間
5分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2008/08/31、2019/05/11
備考
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