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慶雲寺<兵庫県西脇市>

西脇市は緯度、経度でみると日本の丁度真ん中にある市で「日本のへそ」と呼ばれ、日本へそ公園がある場所です。
この地に伝わる平清盛の初陣と元服にまつわる話を調べてきました(2015/11/14)。

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住所
兵庫県西脇市上比延町591-1
交通
JR「日本へそ公園」駅東へ徒歩20分
※日本へそ公園駅へはJR加古川駅で乗り換えですが、2時間に一本程度。

参拝について
要予約
参拝目安時間
20分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2015/11/14
備考

平清盛の初陣の地と伝わる

平清盛が1132年に村を襲い、寺を焼き、お坊さんが持って逃げた十一面観世音のことが兵庫県の西脇市観光協会のホームページに書かれています。

↓観光協会のページ↓
西脇市観光協会のホームページ

1132年といえば清盛は数え年で15歳。何故この時、この地を焼いたのか???
この疑問を解くために、現地に赴き地元の方の多大な協力のもと、平清盛の初陣と元服の話しを伺うことが出来ました。

西脇市のホームページを見てから慶雲寺参拝予約を取りつけるまで4段階ありました^^;
西脇市観光協会に慶雲寺について質問し、資料を頂く

資料を作成された「こみせん比也野」に問い合わせ

詳しい方の連絡先を教えて頂く

慶雲寺の管理人の連絡先を教えて頂く
長い道のりでしたが、得られた情報は大きかったです!!

こみせん比也野が作成された郷土史、これにも平清盛が1132年7月10日にこの地域と寺を襲い、焼いたとだけあり、これでは理由が全く分からず悪者のような印象を受けました(;´・ω・)
※掲載許可を頂いています。

↓画像をクリックするとPDFが開きます↓
慶雲寺資料

ここからは地元の方に伺った内容+この時頂いた講談師・旭堂南海さんのDVDの内容をまとめました。
ふるさと比也野DVD

清盛は父の平忠盛と共にこの地に来て初陣を飾ったそうです。
忠盛はこのとき丹波守、元服前の清盛に播磨は実入りの良い国だから何とか治めたいと語っていたと云われています。
丹波が飢饉になった時、忠盛に初陣で手柄を立てたら元服させて下さいと願い出、京から兵を率いて初陣を飾りました。この時に寺を含むこの一帯を焼いたそうです。

どうやら相手はこの地の「おざわ しきだゆう」という人のようです。
(DVDの講談の内容のため、漢字は不明です)

平安時代、慶雲寺は山の8~9合目にありました。
平安時代の慶雲寺があった場所

寺が焼かれた時、お坊さん2人が仏像を守り、山の中へ逃げるも食べ物がなくなり翌年1133年1人亡くなり、もう1人も隠れ谷というところで命を落としました。
※隠れ谷の地蔵は現在、西脇カントリークラブの敷地内にあり、通常はゴルフをされている方しか見ることはできませんが、この日は特別に管理人の方に許可を取って下さいました。
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その後、村人が焚き物を集めに山のに入った際に亡くなったお坊さんと仏像を見付け、仏像は黒田庄門柳の金竜寺に預けられました。

それから約600年も経って急に仏像が元の場所に帰りたいと言っている夢を見たお坊さんが庄屋に相談し、元あった山の麓の西側に昔と同じ「慶雲寺」の名の寺を建てて仏像を祀りました。

この仏像が「十一面観世音」です。
慶雲寺の見学は要予約

慶雲寺の境内にはお坊さんと元の場所に戻すことに尽力した庄屋の墓が建てられています。
境内にあるお墓

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十一面観世音の移転地
①山の中、現在の兵庫県西脇市上比延町
②山の北側、現在の兵庫県西脇市黒田庄町に600年程安置
③山の南、現在の兵庫県西脇市上比延町に戻る
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十一面観世音の移転地と平忠盛、清盛の進軍ルート(青い矢印)です。
山の北から攻め、慶雲寺を焼いた後、山の南側に下り、麓の多数の寺を焼いて、元来た方向へ戻って行ったそうです。

慶雲寺移転や付近の地図

とにかく皆さん親切!!
慶雲寺の最寄り駅「日本へそ公園駅」はJR加古川駅から2時間に一本。
乗換えの際にICカードが使えず窓口で精算、電車のドアは閉開ボタンを押さないとドアが開かないことが分からず、色々あって2時間に一本の電車を乗り逃してしまいました>_<

慶雲寺見学予定時間に遅れることを連絡するとなんと、途中の駅まで迎えに来て下さって無事拝観させて頂きました。
本当にお世話になりました。

嬉しいことに西脇カントリークラブ内の元・慶雲寺があった山が見える場所にも連れて行って頂きました。

通常はゴルフをされている方しか入れないのですが、管理人の方に許可を取って下さいました。
皆さんすぐに連絡が取れる知り合いなんですね!

最初に迎えに来て下さった老人会会長さん、郷土史の資料を持ってきて下さった区長さん、最後まで案内して頂きバス停まで送り届けて下さったOさん、たくさんの方の協力で得られた情報です。

史蹟巡りしていると親切にして頂けることが多く、心打たれます。

旭堂南海さんが慶雲寺について講談された時のDVDもご用意して頂き、本当にありがとうございました!!
講談では笑いも交えながら詳しく語られています。

旭堂南海さんは年に数回この地区で講談をされていて、この日は偶然にも講談が開催される日だったのですが、夜のため参加出来ず。
毎回テーマを変え、3年先まで決まっているそうです。

慶雲寺の見学や旭堂南海さんの講談にご興味のある方は下記へお問合わせを。
【問合せ先】
■こみせん比也野の紹介ページ
http://www.nishiwaki-kanko.jp/blog/2013/07/20130706.html

■比也野Facebookページ
https://www.facebook.com/hiyanosato/

長い歴史の中で移転しながら、大切に守られた仏様はこの地に住む人々の手で受け継がれいます。

慶雲寺外観

合掌

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