平清経:たいらのきよつね:は平重盛の三男。
平家物語覚一本には思いつめる性格で、都は源氏・木曽義仲に攻め落とされ、九州は緒方惟栄(維義)に追い出されどこにも逃げることは出来ない。と歎き横笛で音取り、念仏を唱え海に沈んでいきました。
時期は不明ですが緒方惟栄はもとは平重盛の家人だったため清経も面識があったのかもしれません。それがより一層清経の心を追い詰めたのでしょう。
■清経終焉之地
宇佐氏に援助を求めて太宰府よりこヽ柳ヶ浦につく
謡曲清経に豊前の国 柳といふところに着く
・・・げにや所も名を得たる浦は並木の柳陰・・・
世の中のうさにはかみのなきものをなに祈るらん心づくしに
の御神託があり前途を悲観したものか 船出にあたり船の舳板に立ち上がり腰より横笛を抜き出し
音もすみやかに吹き鳴らし今様を朗詠し・・・入水
清経は重盛の三男で横笛の名手だったとか
この小松橋に歩道橋をつくるにあたり歴史を語り風情を残した柳の老木が
枯死したので植えついで後世にのこさん為に植之
※補足
都落ちした平家一門は西国を目指し、太宰府に到着したのち宇佐神宮に移動し参籠。しかし祈っても何にもならない旨の神託がありました。
その神託が解説板中の「世の中のうさには~」です。
意味は宇佐神宮のページに記載しました↓
南宇佐 | 経正が勅使となった他、都落ちした平家一門が参籠 宇佐神宮 >> |
平経正 平宗盛 平家一門 |
年月を感じさせます。
文字を拡大すると清経のことなどが読み取れます。
ぜひ現地でご確認ください。
難読?駅館川に架かる「小松橋」は小松内府と呼ばれた清経の父・平重盛に因んでいるとか。
橋は交通量がわりとあるため歩道をちょっと。
■謡曲「清経」と小松橋と墓
謡曲「清経」は、平重盛の三男 清経とその妻との恋情が、戦乱の中で苦しみ合う様を清経の入水を通して描きだされた曲である。
都落ちした平家は、豊前の国 柳が浦の沖で大敗した、傾く一門の前途を歎き、戦いの無残さに苦しむ清経は、月の夜に柳が浦で入水自殺をとげた。
家臣 淡津三郎は、遺髪を清経の妻に届け、事の次第を語る。
夫の非命の死を怨む妻の前に清経の亡霊が現れて、死を選んだ心境を語り、敗戦の様子を見せるうちに修羅のくるしっみは念仏を得て成仏するのである。
駅館川に架る小松橋の名は、小松内府平重盛の領地に因んで呼ばれたものという。
この五輪の墓石は、もと柳が浦若宮八幡宮境内にあったという。
その移転の理由は定かではなしが、入水した場所に近いためという。
バス停は「柳ケ浦小松橋」
駅の宇佐市案内図にもばっちり載っています。
平清経塚は福岡県にも存在しています。
こちらは清経の遺体が流れ着いたとされています。
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