平治の乱で敗北した源義朝一行が落ち延びる際に馬に乗ったまま飛び越えたのが「義朝駒飛石」、義朝たちを捕らえようと待ち構えていた比叡山の僧兵から斎藤実盛の転機で逃れられたのが「甲ヶ淵」です。
※現地に説明板などはなく、書籍『平清盛伝 京都源平地図本 歩・見・食』を参考に探訪してきました。
義朝駒飛石:よしともこまとびいし:は碊観音寺(かけかんのんじ・京都府京都市左京区八瀬野瀬町21)の東側、高野川に架かる橋の真下に存在します。
※碊観音寺には、源義朝が鏃で石に刻んだ観音像が祀られています。
碊観音寺でお参りを終えて駒飛橋へ向かいます。
下記写真の左側の道を進むと石が見えました。
橋の真上からでは石の存在にはほぼ気付けないうえに、これが義朝駒飛石だと知らなければ橋の下に謎の大きな岩がある?!くらいにしか思えないでしょう(^^;
八瀬比叡山口駅近くの地図には載っているのに不思議です…
駒飛橋から上流に向かって5分ほど歩いてみます。
平治物語に描かれる甲ヶ淵:かぶとがふち:に纏わる話を簡単にまとめると…
比叡山の僧兵140~150人が落ち延びる源義朝一行を捕らえるために逆茂木を造ったりして待ち構えていました。
斎藤実盛の機転で「自分たちは主を討たれ、妻子の顔を見に国へ帰る者たちで、首をとったところで何の恩賞にもならない。武具を差し上げるので助けてください。」と兜を投げ、僧兵が取り合いをしている間に義朝一行は馬を駆けさせ通り抜けることができました。
僧兵たちは徒歩のため馬にあてられ川に落ちたり、谷に転落してしまいました。
書籍『平清盛伝 京都源平地図本 歩・見・食』の地図を参考に現地を歩いてみると、義朝駒飛石がよく見える辺りか、もう少し上流が甲ヶ淵のようです。
碑か説明板の設置をしていただければよいのですが……