一ノ谷合戦では源氏の奇襲により多くの平家一門が討たれました。
平教盛の息子は通盛:みちもり:と業盛:なりもり:が首を取られました。
業盛塚は善光寺境内、山門すぐのところにあります。
大きな石です。
現地に説明が詳しいので下記をご覧ください。
少年武者 平業盛
業盛は清盛の弟・教盛の末子である。
一ノ谷の戦に平家方は大敗離散し、当年17歳の少年業盛は緋縅の鎧で連銭葦毛の馬に乗り、唯一人行き先を案じつつ駒を渚に立たせて居た。
折柄、源氏方泥屋四郎及び其弟五郎が追撃して来たのでこれを邀えて奮戦し遂に兄四郎と馬上に引き組んで地に落ち、はげしく揉み合ひ上に重なったまま古井戸に落込んだ。
弟五郎は兄の危急を救おうとして業盛の甲の錏を力まかせに引き離そうと焦る。
業盛は之を防ぎつつ兄四郎を殺そうとして一生懸命である。
業盛は未だ少年とは云へ其大力は大人も及ばぬ位あったので、彼が五郎を振り離そうとして首を振ったはずみに甲の緒が引き裂かれ、五郎は業盛の甲を持ったまま二間程も振飛ばされた。
併し五郎も亦、さる者で之にひるまず直ちに立ち上り業盛の首を打ち取った。
少年業盛の剛勇と怪力に敵も味方も其死を惜まぬものはなかった。
因に曰う、批碑の文字は兵庫の先賢 神田兵右衛門翁の筆跡である。
神戸市兵庫区長
※補足※
泥屋は諸本により土屋などと記されていることもありまた、別の説では常陸国の比気四郎に討たれたとも。
善光寺の参道の碑が幼稚園の側に建てられています。
この碑はT字路にあり、善光寺は北西方向です。
すぐ近くの条例にも描かれています。
ちなみに地名の読み方は:えげやま:です。
坂が続きますのでお参りは歩きやすい靴をお勧めします。
ここまでくれば目の前です。
道中の蝶紋も探してみてはいかがでしょうか。
善光寺西側の会下山公園は桜が美しいと聞いたことがありますが、残念ながら桜の季節に訪れたことがありません。
桜の写真が撮れたら追加したいと思います。