寿永2(1183)年5月、北陸で平家軍と木曽義仲軍が戦いになりました。
有名な倶利伽羅峠合戦の3日前の5月8日、木曽義仲の先発隊・今井兼平と平家軍大手の侍大将・平盛俊が戦ったのが般若野で、平家は敗北し加賀へ退却しました。
弓の清水と般若野古戦場。まずはこちらから。
弓の清水
ここで喉の渇きを訴える兵たちに応えるため木曽義仲が弓で突いて(または矢で射て)水を湧かせ士気を高めたとされています。
しみずと読む人もいるとも聞いたことがありますが今まで見たことある読み方は『しょうず』で現地でもそうなっています。
囲みの中はこんな感じで水が湧き出ているかははっきりとわかりませんでした。
解説板
そして岩の上に木曽義仲像も建てられています。
各地に建てられている義仲像の冑には龍がいると聞いたのですが、確かにここもそうです。
目線の先が地面を見ているのか謎💦
こんな角度からもみれます。
脇腹を狙えます!!
水が湧く様子を描いた絵も。
拡大
この絵は川のようになっています。
蝶紋と笹竜胆のこちらの幟もかっこいいですね。
弓の清水後方の階段が般若野古戦場の碑へと続きます。
階段を上って左(北)へ
般若野古戦場
続く石が道しるべのようになっています。
碑のみですがここで平盛俊と今井兼平が戦い平家が敗北、後に兼平は木曽義仲と合流し先述の弓の清水の話へとつながります。
ちなみに平盛俊は翌年の一ノ谷合戦で打ち取られています。
ここは交通の要所のようでお地蔵様が道路を見守っていました。
弓の清水で作られたお菓子の紹介は次回!!
住所
富山県高岡市常国
交通
①車が便利
②本数は極端に少ないようですがバスも
あいの風とやま鉄道「越中大門」駅から射水市コミュニティバスきときとバス櫛⽥・越中⼤⾨駅線
きときと時刻表↓
※弓の清水は大門・大島地区
https://www.city.imizu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=640
②本数は極端に少ないようですがバスも
あいの風とやま鉄道「越中大門」駅から射水市コミュニティバスきときとバス櫛⽥・越中⼤⾨駅線
きときと時刻表↓
※弓の清水は大門・大島地区
https://www.city.imizu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=640
参拝について
自由
参拝目安時間
15分~
お気に入り度
★★★★★
参拝日
2022/10/21
備考
–