平治の乱の時に平家に味方し、家人になった「湯浅宗重(ゆあさむねしげ)」が最初に城を築いた、紀州最古の城。
また、壇ノ浦合戦後に平重盛の子・平忠房が熊野別当・湛増と戦った場所です。
湯浅城址は私有地のため入り口は施錠されています。
見学は事前に湯浅町観光協会か湯浅町役場に確認することをお勧めします。
・湯浅町観光協会 → http://www.yuasa-kankokyokai.com/
・湯浅町役場 → http://www.town.yuasa.wakayama.jp/
登山口は川沿いに
ちょっとした山の上にあり、手付かずで2013年頃までは誰も入れなかったそうです。
私有地のため現在も入口は施錠されていますが、見学希望者のために入口に連絡先が記載されています。
見学は案内解説付き。ゆっくり見せて頂いて約90分。
築城は康治2(1143)年。平治の乱より16年前ですね。
各所に湯浅家の家紋が♪
この湯浅城址、何がすごいって見に来てもらおうと地元の方達の手で山を約2年かけて道を整備し、柵や休憩椅子、トイレまでつくられたそうです。
1番すごいのは約400kgある「湯浅城址」の碑を、急斜面を皆さんで運び上げて設置されたこと∑o(*’o’*)o
機械も入れられず毎日少しずつ人力で運び、設置されたそうです。
上から斜面を見せて頂きましたが、70度くらいはあるのかと思わせる急斜面。
人間の力と工夫って凄い!!と痛感しました。
子供達にも喜んでもらおうと武将のキャラクター板を作り、斜面から海の浮きを転がして当てるゲームなども開催されているそうです。
湯浅城は平安時代以降も多数の人が城として活用し、室町時代や江戸時代に築かれた城石も見る事が出来ます。
この日案内して下さったのは75歳の地元の方ですが、山道もスッスッと上がられていました。
道が整備されていることもありますが、多くの人に喜んでもらえると張り合いが出て、元気でいられるそうです。
でも改めて山を下から見るとそれなりの高さと広さ。
ここを2年で整備されて、人を呼べるように維持管理するのは並大抵のことでは出来ないと感じました。
見学は年中無休、元日でも大丈夫だそうです。
たくさんお話しもして下さって、人に喜んで頂くことで心が豊かになるとおっしゃった言葉が印象的でした。
その精神が根付いているからこんな凄いことが実現しているのですね。
さて、湯浅城址にはもう一つ、源平に纏わる話しがあります。
平治の乱から25年以上経ってからのことです。
屋島合戦の時、行方不明になっていた平忠房が、壇ノ浦合戦後に湯浅宗重を頼って湯浅城にこもっていました。
そこに、源頼朝の命で熊野別当・湛増が攻めてきました。
しかし、忠房以外に盛嗣や景清など平家に仕えてきた強者も集まっていた為、湛増が2、3ヶ月の間に8度戦っても勝てなかったことが平家物語にみられます。
結果は頼朝の策略にはまった忠房が……詳しくは平家物語覚一本「六代被斬」に描かれています。
当時はどんな景色が広がっていたのでしょうか??
湯浅城探訪の後は湯浅おもちゃ博物館も案内して頂きました。
懐かしい駄菓子と、明治時代頃からのおもちゃが多数展示されています。
子供達が輪投げやくじをしたり、古き良き時代を感じさせる場所で、皆さんのコミニケーションの場となっているそうです。
土日祝のみ開館、店番は皆さんで交代されているそうです。
http://lepo.fool.jp/green/omocha/
また、この付近は熊野参詣の通り道。
町中に熊野古道の碑も建てられています。
平安時代末期から熊野詣が盛んになり上皇や天皇の宿泊には湯浅の方々がもてなし、重要な役割を果たしてこられました。
湯浅城址と合わせて町を散策するのもいいかもしれませんね。