仙台市には義経と弁慶が力比べをした石が住宅街に佇んでいます。
義経石は生協の駐車場にあり正面入口に回ってみましたが関係者以外立入禁止となっておりました。
しかもこの日はお休みの様子でどなたにも質問することもできず、歩道からフェンス越しにのみ見てきました。
説明はフェンスに掛けられていたのでこれはしっかり見れました!
義経と弁慶が力比べをした石
昔、源義経主従が平泉の藤原秀衡を頼って落ちのびる途中、岩切にある高森山で一休みしていたときに、義経と弁慶が力比べをすることになっった。
最初に弁慶が両手で抱えなければならないくらいの石を持ち上げてなげると石は山を越え谷を越えて七北田川の岸辺に落ちた。
得意げに義経のほうを振り返ると、義経は弁慶の持ち上げた石よりも大きな石を持ち上げ、弁慶よりも遠くまで投げた。
その後、義経と弁慶が投げた石は石神様として奉られた。
鎌倉時代の板碑
年号は鎌倉時代、1302年(正安4年8月)とあり、高さ2メートル、横0.8メートルである。
種子彫法 底線を深くした薬研彫。
平鑿で低線に平行に彫り、その後研磨。
備考 碑面左半分欠落・蓮座・碑面研磨(仙台市史板碑編)
胎蔵界大日如来の梵字と父の供養を彫ってある。
説明に出てくる七北田川を渡ってすぐのところに義経石があります。
高森山は地図で見るとこの石より北西にあるようですが、すとりーとびゅーで熊出没注意の案内板が見えたことと、時間の関係で高森山へ行くのは断念しました…
義経石から南へ次の角を西へ住宅街に入り、向かいには岩切中学校のグラウンドのある住宅街の一角に弁慶の投げた石があります。
(石の説明は義経石と同じため省略)
鎌倉・南北朝時代の板碑
種子はキリーク(阿弥陀如来)の梵字と蓮台が彫ってあり、その他は風化して読めない。
種子の上に横線が一条刻まれ、鎌倉時代ごろのものと考えられる。
キリークはこれ↓??
義経石の方が大きかった(高さがあった)のですが、義経ってそんなに怪力だったのかと謎がわいてきました。
屋島合戦で義経は非力なので弱い弓を使っていて、それを知られないように命がけで落とした弓を拾う「弓流し」の話しもあるくらいなのに…(^^;