毎年5月26日に平等院の塔頭・最勝院で源頼政の法要が行われていて、どなたでも参列できますが、平等院の拝観料が必要です。
頼政は保元の乱、平治の乱でも勝者側であり、平清盛公からも信用されていました。
頼政は鳥羽天皇やその皇女・八条院にも仕え、八条院の猶子であった以仁王と頼政が手を組み平家を討つために挙兵しました。頼政は当時77歳でした。
※八条院と以仁王は叔母と甥の関係
頼政と以仁王が挙兵する前年、平清盛が後白河法皇を幽閉し院政を停止させ、以仁王の所領・城興寺領を没収されました。
また、挙兵の約2か月前には以仁王の異母弟である高倉天皇の皇子・言仁親王(安徳天皇)が践祚。
以仁王が天皇になる可能性はほぼなくなりました。
※以仁王は三条高倉に居住していたため「高倉宮」とも呼ばれるためか、弟の高倉天皇と混同している文章を時々みかけます。
これが以仁王を挙兵に走らせたとされています。
また、平家物語では頼政の息子・中綱が愛馬の木の下:このした:を平宗盛に奪われた挙句、馬に仲綱と焼印をしたり侮辱したからとされていますが、真相は…頼政に直接聞いてみたいものです。
三井寺が味方したものの頼政は高齢、以仁王は戦に慣れていない上に挙兵の情報は事前に平家に漏れていたのでかなり不利な状況。
頼政や頼政の息子たちと以仁王を逃すために時間稼ぎをしますが、結局は平等院の扇の芝で自刃。
以仁王は南都へ向かう途中で討たれてしまいました。
治承4年5月26日のことでした。
頼政の法要は通常はお墓の前でお経が唱えられ、続いて自刃した扇の芝へ移動してここでもお経をあげるのですが、2024年は扇の芝に隣接する観音堂の工事の関係で墓前のみでした。
法要は10時から。
導師入場
読経
参列者によるお焼香列。
大体この頃からお経を聞き、頼政忌を知らないと思われるギャラリーが増え始めました。
最後、最勝院の出入口付近で僧侶4名がお経を唱えて終了なのですが、この時には合掌している外国人多数。そして終わると一気にギャラリーがいなくなるという…
導師の方がご挨拶で30年ほど前は参列者が数名だったのが、今は30名ほど集まって非常に嬉しいとお話しされていました。
しかし当日、現地に頼政忌の案内はないし、ホームページのお知らせも前日。
早くからお墓の前にいらっしゃった僧侶の方は「源頼政って誰?」みたいな会話をしている人々に何も案内することもなく静かに佇んでいるだけ。
頼政忌には一般の人はあまり来てほしくないようにしか思えなかったのですが……モヤモヤしてしまいました。
法要前に記帳し、いただいたお供え。
新茶と饅頭。ありがとうございます!!
そして、頼政と一緒に討たれた家臣の通圓:つうえん:。
お墓は最勝院の南隣の浄土院(平等院の塔頭で平等院内)にありますが、法要などは行われていない様子です。
しかも通圓の説明がなくなっていました(以前は下記写真の右側にありました)
↓2019年の頼政忌の時に撮影した通圓の墓の説明
宇治川のたもとでは通圓の子孫の方が茶屋を営まれていて、5年前に比べると客層は海外の方が圧倒的に多くなっていました。平等院から徒歩約10分、宇治橋を渡ってすぐです。
店内飲食の他、お茶の販売もされていますが今回はほうじ茶ソフトクリーム。
通圓さんの公式ホームページではオンラインショップも↓
http://www.tsuentea.com/index.php
合戦になった宇治橋からのぞむ宇治川。平家物語では平知盛、重衡 卿たちが出陣しています。
参考に過去の頼政忌のリンクも貼っておきます。
2017年→https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yorimasaki838/
2019年→https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yorimasaki840/