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頼政道碑と頼政橋<京都府宇治市>

ここを通った

平家物語覚一本によると源頼政が後白河法皇の皇子・以仁王:もちひとおう:を誘い、平家打倒の目的で挙兵し、平知盛軍と京の宇治で合戦。
最初、頼政と以仁王は園城寺(三井寺)に入り、味方となった南都の興福寺へ向かって進んだ道が「頼政道」と呼ばれています。
結局、南都へは辿り着かず、頼政は途中の平等院で自害することとなりました。

76歳の頼政が挙兵した理由は、平家物語によると息子の仲綱が愛馬「木の下(このした)」を平宗盛に権力で奪われた上に侮辱され、怒った頼政が皇位継承の望みがほぼなくなった以仁王を引き込んだと書かれています。

住所
■頼政道碑→京都府宇治市平尾台1丁目
■頼政橋→京都府宇治市木幡南端
※碑と橋は徒歩約20分の距離
交通
■頼政道碑→京阪電車もしくはJR「六地蔵」駅から京阪バス東御蔵山行き約15分
「頼政道」バス停徒歩3分
■頼政橋→京阪「黄檗」駅徒歩約10分

探訪について
自由(市街地の道路)
探訪目安時間
各10分~
お気に入り度
★★★☆☆
探訪日
2016/08/27
備考
頼政道碑

住宅街の一角に存在感のある碑が置かれています。
頼政道の碑

歩道にある碑

背面に解説有り。
歩道側から読める

背面の解説より
この道は遠い昔から人々の生活を支えてきた。
治承4年(1180)5月26日の払暁、老将 源頼政はこの道を奈良に向かったという。
以来この道はその名とともに生きてきた。
新しい街づくりのため、この道は生まれかわった。
わたしたちはこのゆかりの地点に口碑を刻み、その名を永くとどめる。

平成元年十二月 吉日

縁起

頼政道碑の最寄りバス停は京阪バス「頼政道」バス停。わかりやすいですね!
頼政の名前がついたバス停

バスの経路

頼政道碑へはバス停から南へ徒歩約3分です。

頼政橋

頼政道碑から約1.5km南西方向(保育園の西側)には「頼政橋」が掛けられています。
頼政橋

昭和40年5月30日完成

ふと見ると、裏に縁起が書かれています。
縁起

解説
橋の解説

ここから南へまっすぐ進むと平等院に到着します。
平等院は源頼政が自刃した場所で塔頭の一つ「最勝院」に頼政の墓があり、毎年5月26日には法要が行われています。

↓2017年の 第838回忌 頼政忌 の様子はこちら↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/yorimasaki838/

頼政が何を思い、どのような考えでこの道を通ったのか800年以上経った今、同じ場所に佇んで思いを馳せるのはいかがでしょうか。
川

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