平家一門が信仰し、平忠度が天神画像を奉納した神社。
②JR「兵庫」駅徒歩8分
■御祭神
菅原道眞公
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
野見宿禰命(のみのすくねのみこと)
■由緒
人皇第60代醍醐天皇の昌泰4年正月 右大臣菅原道眞公は九州太宰府へ左遷さるる事となり其の途次 当地兵庫港に上陸し折から馥郁(ふくいく)たる梅花を賞で
『風さむみ 雪にまかへて咲く花の 袖にぞ移れ 匂ふ梅が香』
と詠じ給わった。
公の太宰府に薨ぜらるるや太宰府安楽寺の菅公廟より御分霊を迎え奉祀した。
これが当社の縁起である。
鎌倉時代 時宗(じしゅう)の開祖・一遍上人が当社の南方約400米にあった観音堂で示寂(死去)さるるや時宗 第二世・他阿上人が一遍上人の墓の傍らに眞光寺を建てた。
この時当社の傍らにも上人が傍らに満福寺を建立し僧侶が奉仕した。
明治初年神佛判然令に依り独立して神道祭祀となり同35年には菅公一千年祭を斎行し同45年市内最初の国家幣帛供進(へいはくきょうしん)神社となる。
古来社殿は現地の北方約50米に在り東面す。昭和24年罹災後、現地に鎮坐し南面となった。
昭和20年3月太平洋戦争のため本殿以下諸建物また氏子三千戸全焼し同33年より本殿以下を復建した。
古来平家一門また前記の時宗の門徒の信仰篤く殊に平忠度は「天神画像」の大軸を奉納す(現在社宝)
(後略)
由緒にある「天神画像の大軸」は現在社宝となっていますが、ガイドの方が事前にお寺の方に聞いた話では空襲で焼失してしまっているそうです。
戦争で多くの命や物が失われましたが、再建され現在もお参りできるのは当時の方々の並々ならぬ復興させたい思いと努力の結果だと思います。
境内外にも同じように由緒が掲げられています。
こちらには天神様の説明が。
また、柳原天神社は兵庫七福神の1つ布袋さんを祀っています。
源平の史蹟巡りをしながら七福神を訪ね歩くのもいいかもしれませんね。