木曽義仲挙兵の際に信濃からともに上洛した山吹御前。
粟津合戦の時は病気で京に残っていましたが義仲に逢うためにやってきたこの地で、最期を迎えました。
義仲に逢うこと叶わず……
桜舞う動画です。
美しいけど山吹の最後を思うと…(´。・ω・。`)
住所
滋賀県大津市春日町(JR大津駅北口を西へ数メートルの駐車場の脇)
交通
JR大津駅北口に隣接
参拝について
自由
参拝目安時間
10分~
お気に入り度
★★★★☆
参拝日
2016/08/27、2017/04/14
備考
駅前のため、解説板が見える付近に人が多い
解説板より
大正10年8月、大津駅がここに建設されるまでこの地一帯は秋岸寺という古いお寺でありました。
その昔、木曽義仲が粟津が原で鎌倉軍勢と戦って敗れ、今井兼平等多数の部下とともに戦死したとき、愛妾山吹御前は京洛から義仲を慕ってはるばる逢坂山を越えここまで来ましたが、逢うことができず秋岸寺境内の藪の中で敵刃に倒れたのであります。
後世有志が薄幸の山吹を弔うために境内に地蔵尊を刻んでお祀りしていましたが、駅の新設と同時に寺は移転し、地蔵尊は鉄道宿舎の主婦たちの手によって祀られてきたのであります。
昭和50年、駅宿舎改築を機にりっぱな祠を建ててここに祀ることになり、誰いうとなく山吹地蔵と呼ばれております。
大正10年8月、大津駅がここに建設されるまでこの地一帯は秋岸寺という古いお寺でありました。
その昔、木曽義仲が粟津が原で鎌倉軍勢と戦って敗れ、今井兼平等多数の部下とともに戦死したとき、愛妾山吹御前は京洛から義仲を慕ってはるばる逢坂山を越えここまで来ましたが、逢うことができず秋岸寺境内の藪の中で敵刃に倒れたのであります。
後世有志が薄幸の山吹を弔うために境内に地蔵尊を刻んでお祀りしていましたが、駅の新設と同時に寺は移転し、地蔵尊は鉄道宿舎の主婦たちの手によって祀られてきたのであります。
昭和50年、駅宿舎改築を機にりっぱな祠を建ててここに祀ることになり、誰いうとなく山吹地蔵と呼ばれております。
大津駅長
大津市観光物産課
JR大津駅の脇に解説板が見えます。その後ろに祠が山吹地蔵です。
↑左側の碑には『木曽どのを したひ山吹 ちりにけり』と刻まれています。
雑踏の中にありながら、時間を忘れてしまうほど切なく美しく見えました。