薬仙寺には福原遷都の際に後白河法皇が幽閉されたとされる「萱の御所跡碑」が建てられています。
※後白河法皇が幽閉されたのは平教盛の別邸・氷室神社(神戸市兵庫区氷室町2丁目15-1)付近という説もあります。薬仙寺より氷室神社の方が平清盛の邸宅とされる雪見御所から近いです。
書籍『ゆかりの地で出合う歴史と伝説 平清盛と神戸』(神戸新聞総合出版センター 発行)によると、以前は南逆瀬川町(薬仙寺より北へ1km弱、平相国廟がある能福寺付近が南逆瀬川町)にあったが、新川運河の拡張工事の際にここ薬仙寺に移設されたそうです。
下記に2012年と2015年の写真を載せます。微妙な変化が。
↓2012年
↓2015年
おわかりでしょうか。解説が新装されて内容も少し詳しくなっています。
「牢(楼)の御所」ともいい、清盛が後白河法皇を幽閉した建物で、三間四方の粗末な造りであったという(平家物語)。
伊豆国に流された際に源頼朝と出会った文覚上人は、後にこの御所に忍び入り平家追討の院宣(上皇及び法皇の命を奉じて出す文書)を賜ったと伝えられている。
ここより北東方向約百米の地点にあったが、昭和29年の新川運河の拡張工事によって水中に没するため、当寺境内に移した。
2012年の解説には「旧碑破損により現在の碑を再建した。」とあります。
下記は門前の説明。平清盛も千僧供養を行っています。
藥仙寺(時宗)
この地は奈良時代行基菩薩が開いたと傳えられる大和田の湊に接し平安時代にはたびたび千僧供養が行われた所である。
承元元年(1207)法然上人が讃岐へ下るとき、ここへ立ち寄り大衆を教化され、文久元年(1861)には英国初代公使オールコックの一行が兵庫開港予定地を視察するため宿泊したゆいしょある寺院である。
重要文化財
一、木造藥師如来坐像
一、絹本着色施餓鬼図
神戸市教育委員会
後醍醐天皇ゆかりの地でもあります。
周辺には「清盛塚」や「清盛橋」など源平ゆかりの地が点在しています。福原や日宋貿易に思いを馳せるのはいかがでしょうか。
②神戸市営地下鉄またはJR「和田岬」駅から北へ徒歩10分