「対面石」と大きくかかれた案内がある八幡神社境内には源頼朝と源義経兄弟が初対面した時に腰を掛けたという対面石:たいめんせき:と頼朝が食べようとしたねじり柿を見ることができます。
バス通りは北側のため、正面大鳥居へはぐるっと迂回して南側へ。
ご由緒には「桜が植へられ、満開になるとすばらしい景観となる」と書かれています。
確かに桜の絵が描かれています。
先ずはお参り。
近づくと自動で扉が開き、ビックリでした。1人で「わっ!!」とか声を出してしまいました…他に参拝客がいなかったのが救いでした。
中にご由緒が置かれています。
お目当ての対面石へ。
■対面石
(※ご由緒には「たいめんせき」とふりがながあります。たいめんいしではないのですね。)
所在 清水町 八幡 八幡神社境内
治承4(1180)年10月、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せてきた時、鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣した。
たまたま、奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。
この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石という。
またこの時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじってかたわらに捨てた。
すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この二本は幹を絡ませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は呼ぶようになった。
囲いの中に石が置かれています。
恐らく後ろのが柿の木。なんとなくねじれて見えます。
富士川合戦の翌日、義経が頼朝の陣にやってきて面会を求めた時、土肥実平たちは警戒して取り次ぎませんでしたがそれを聞いた頼朝が年齢のころからして奥州の九郎では?!と気付き、兄弟は会うことができました。
この時それぞれ数え年で頼朝は34歳、義経は22歳。
平家と源氏の明暗を分けた平治の乱の年に生まれた義経は会ったこともない頼朝によく会いに行ったものだと思います。
由緒には頼朝が再建に尽力したことも書かれており、その記念碑もありました。
■頼朝公再建820年記念事業碑
治承4年右大将桃沢社の旧地に石清水を勧請
爾来星霜巳に久しく清宮雨蝕露敗 役員総代相議り再建事業を企図推進
この赤誠に神明垂感●氏子崇敬者の多大なる奉仕により見事に完成
この間に要じた事業費は全て篤志家の浄財による御神徳の広さを痛感
茲に十年余に亘る事業の概要を刻し記念とす
(後略)
前宮司 勝又五郎撰
東鳥居側の楠。樹齢はどのくらいでしょう?
伊豆箱根バス乗車約15分「八幡(旧道)」下車徒歩5分
②JR「大岡」駅から南へ徒歩30分
西へ徒歩10分ほどで黄瀬川です。