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若宮八幡神社<滋賀県大津市>

雰囲気ある

寿永2年(1183)木曽で挙兵、平家を打ち破り7月、ついに都入りした木曽義仲たち。
幼いころに父が討取られ山深い木曽で育った義仲は都でのふるまい方を知らず京の人々から嫌われ、京の治安回復どころか悪化する一方、さらに皇位継承にまで口を挟む義仲を後白河法皇は嫌悪し、頼朝に上洛を促しました。

源頼朝は後白河法皇の要請を受け、弟の源範頼・源義経を京へ向かわせました。
頼朝、範頼、義経は義仲とはいとこの関係。

義仲は自分が都落ちさせた平家が西国に、東には頼朝が、京では嫌われ……孤立してしまい、しまいには平家に和議を結ぼうとしましたが平時忠、知盛の猛反対により成立せず。

年を越した寿永3年(1184)1月20日に頼朝が派遣した源範頼・源義経軍と宇治川で合戦となり、落ち延びる途中の粟津で顔面に矢が刺さるという最期を遂げました。

その際に焼失したのがこの若宮八幡神社です。

若宮八幡宮

本殿?

解説板より
当神社は壬申の乱(672)があって三年後の白鳳4年(675)に天武天皇が、宇佐八幡の御神託「近江の湖水の辺り粟津に、わが子人徳を祀り崇敬すべし」により、ここに当神社社殿を造営されることになりこの浦(湖辺●上下八丁(約八百米)での殺生を禁じられ、以後漁夫は恐れてここを特別の浦(別浦)と云い、のちに別保と呼び、現在もこの地域の地名として残り翌年(676)8月(9月)15日放生会が行はれました。

当神社の社殿等が完成したのは、●年後の白鳳8年(679)で九州の宇佐八幡宮の次に古い八幡宮で当初は粟津の森八幡宮、のちに若宮八幡宮となり、明治から若宮八幡神社となりました。

ところで当神社の社殿等は延喜17年(917)雷のために全焼。
その後、寿永3年(1184)源頼朝と木曽義仲の粟津の合戦でまたも全焼
勝った源頼朝が社殿等を再建。更にこの社殿等も、応仁の乱(1467)の兵火で焼滅しました。

しかしその後、立派に復興され、膳所城の築城後は歴代城主、本田公が寄進し、社殿を始め境内建物の修繕等を行ってこられました。

境内には皇大神宮を始め沢山の摂社・末社が奉祀されておりますが、これは当神社の歴史が古く、この間に多数の氏子が奉仕崇敬され、極めて霊験あらたかな氏神さまであることを示しています。

何度も焼失
●は読めませんでした

源平のころ

頼朝が再建した社殿も消滅したそうですが、現在の社殿から当時を想像……
美しい

不思議な形の木

立派な燈籠も

城を移築

空

ストリートビューで見てみると表門は2019年6月に修理工事中のようです。
※このページの写真は2016年10月23日撮影です
新しくなった表門、落ち着いたらまた見に行きたいです。
膳所城から

空

リニューアル前

住所
滋賀県大津市杉浦町
交通
京阪「瓦ヶ浜:かわらがはま:」駅から南へ徒歩3分

参拝について
自由
参拝目安時間
20分~
お気に入り度
★★★☆☆
参拝日
2016/10/23
備考
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