源頼朝が父のように慕い頼った千葉常胤:ちばつねたね:が洪水に悩まされた源頼朝軍のために祈り、その御神徳で全軍が事なきを得ました。
そして源頼朝は社殿建立や神領を寄進するなど信仰を深めました。
千葉常胤は元永元年(1118)5月24日生。ということは平清盛と同い年です。
千葉常胤については千葉市のYouTubeにアップされているマンガ動画「千葉常胤公ものがたり」が分かりやすいです。
更に詳しくは千葉市ホームページ「千葉氏について」をご参照ください↓
https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/sogoseisaku/identitysuishin/chiba-shi.html
牛嶋神社に話しを戻します。
千葉常胤と頼朝のことが書かれている由緒は狛犬が見守っているような場所にあります。
牛島神社は、もと本所区向島須崎町に鎮座していたが、関東大震災後昭和のはじめ、水戸徳川邸跡の現位置に再建された。
当社の縁起書によると貞観2年(860年)御神託によって須佐之男命を郷土守護神として創祀し、のちに天之穂日命をまつり、ついで清和天皇の皇子・貞辰親王をお祀りし「王子権現」と称した。
また天文7年(1538)後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったと言われ、隅田川に沿う旧本所一帯の土地を、むかし「牛島」と呼んだところから、その鎮守として明治初年から「牛島神社」と称するようになった。
例祭日9月15日は、貞観のむかしはじめて祭祀を行なった日とされている。
治承4年(1180年)源頼朝が大軍をひきいて当地におもむき、豪雨による洪水に悩まされた時、武将千葉介平常胤が祈願し、全軍無事を得たところから、頼朝はその神徳を尊信して社殿を建立し、多くの神領を寄進した。
江戸時代には鬼門守護の社として将軍家の崇敬厚く、特に三代将軍家光は、祭礼神輿渡御の旅所としての土地を寄進した。現在の本所2丁目のお仮宮がこれである。
総桧権現造り東都屈指の大社殿を誇る牛島神社は、昭和32年鎮座千百年祭を執行、氏子五十余町牛島講の守護神として崇敬尊信をあつめている。
境内には牛を象ったものが多数あります。
ところでお参りしている間に御守りなどの授与終了時間になったようで、巫女さんが無言で柵を閉め始めたのが少し恐いと思いました。
他にも参拝者いるのだから本日は終了ですなど一言あってから閉めていただきたいものです。
②東武鉄道「とうきょうスカイツリー」駅から北西へ徒歩10分
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牛嶋神社は東京スカイツリーの近くです。