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佐藤継信 慰霊法要2024年<香川県高松市>

法要
※このページの写真は2024年3月19日撮影(一部1月7日)

屋島合戦で源義経の身代わりとなり、平家の強弓・平教経 卿の矢で射ぬかれた源氏軍の佐藤継信。(平家物語)

継信は、奥州で藤原秀衡の保護を受けていた源義経が源頼朝挙兵に駆けつける際に同行し、この地で最期を迎えました。ちなみに弟の佐藤忠信はこの後も義経に付き従います。

慰霊法要は毎年3月19日行われていると知り、2024年に参列してきました。
僧侶は3名

地元の方がほとんどで、ガイドをされている方や高松市文化財保護協会の方の他に、佐藤継信の子孫の方も遠方からいらっしゃっていました!!
どなたでも参列可能だそうです。

10時から佐藤継信の墓にて。
※佐藤継信の墓は高松市に2箇所ありますが、法要が行われるのは琴電八栗駅南側の佐藤継信・太夫黒の墓です。私有地だそうです。
墓の入口

説明

墓や洲崎寺さんについては後日別ページ作成予定です。

佐藤継信の菩提寺となった洲崎寺(真言宗)の方がお経をあげられました。

途中、参列者が順番でお墓にお水をかけます。
源平関係の人々の法要に色々参列していますが、お焼香ではない法要は初です。
墓にお水を

お参りの後

読経

同じ敷地内に名馬・太夫黒の墓もあり、事前にお茶やお花も供えられましたがここでは読経などはなしです。
名馬太夫黒

後から聞いた話によると元々は後方のフェンスの向こう側の池のほとりに太夫黒の墓があったそうです。
墓の右側にある五輪塔については以前から疑問だったのですが、質問し忘れてきました。次回の機会に。
謎

元はこの池のほとりのどこかに太夫黒の墓が。
大きな池

ここでの法要は15~20分で、すぐに洲崎寺さんへ移動します。
徒歩15分ほどです。
正面

3月19日

境内の壁にある屋島合戦の説明!!
石板

すごい

同日に境内の西側にある真念:しんねん:の墓でも法要が行われます。
参列

真念さんは江戸時代に四国八十八ヶ所霊場(お遍路)を20回以上巡り、順番を決定した人物でここは移転してきたお墓です。
洲崎寺さんは移転先第3、第4候補だったとか。
※移転場所については後述します。
移転してきた

同じく皆さんでお墓にお水をかけました。
20分ほどで法要が終わり、洲崎寺さんの客殿?でお菓子とペットボトルのお茶をいただきながら懇親会です。
庭

12時前には全て終了しました。
果物、野菜、酒、お茶などお供え物のお下がりを分けてそれぞれ持ち帰りました。私がいただいたのはこちら。
お茶も入っていましたが、写真撮る前に飲んでしまいました。
お供え物のお下がり

地元の方々ばかりの中によそ者の私が突然やってきましたが、あたたかく迎えていただきまして誠にありがとうございました。

その後、真念さんが行き倒れになっていた場所と元のお墓の場所も案内していただけました。

行き倒れになっていた場所は道の駅 源平の里むれと琴電房前駅の間の細い道路で現在は舗装されています。
ここで

祠もありますが、関連するのかは不明です。
関係する?

ちなみに道の駅 源平の里むれには真念堂という飲食不可の休憩所があり、この文字は洲崎寺の住職さんが書かれたそうです。
入口

書

那須与一をイメージした作品が海鮮食堂じゃこやさんの入口にありました。向かい側には扇の的も。
なすのよいち

道の駅の公式ホームページ↓
https://www.genpei-mure.jp/

地図上でみると道の駅は義経が先勝祈願をした幡羅八幡神社のすぐ東側であることに気づきました。
幡羅八幡神社については過去に訪れた時の様子を下記にまとめています↓
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/harahachimanjinjya/

北へ徒歩15分ほどの塩竈神社近く、高松市営南三昧墓地に真念の墓跡地があります。
墓地区画の一番南、道路から見える場所です。
跡地

四国遍路の父

平成3年

いつも源平関係ばかりなのでたまには他の時代に触れるのもいいですね。
本当に本当にお世話になりました。

仏生山町の生目八幡宮(生目さん)の例大祭や、香川町の義経神社など、まだ訪れていない場所もあるのでまた史蹟巡りしたいと思います。

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